法的には終戦語30年余り、元号が「廃止」されていたことになるが、その期間に生まれた団塊世代や団塊ジュニア世代が自分の生まれた年を昭和で言う例が多く、むしろ戦前・戦中生まれが少数になった今、昭和を使うのはこの「終戦語30年」の間に生まれた世代だ。

皮肉にも法的に元号に根拠が無かった時代に生まれた世代が、「自主的に」元号を使っていたことになる。

そうなると、今から元号が廃止されたとして、元号を使う人がいなくならない限り、現状は大して変わらないだろう。
そもそも「元号廃止」とは何のことか。市役所、区役所、銀行での手続きで日付を書く時、これを元号から西暦にするのか。企業が役所に提出する書類で元号を使っているのを西暦にするのか。
そうなったら、それでいいが、それでも個人の日常会話で「私は昭和35年生まれ」「私は昭和45年生まれ」という表現をする人は残るだろう。

元号廃止論者のうち、昭和生まれの元号廃止論者は「今年は平成何年か」「阪神淡路大震災や東日本大震災が平成何年か」がわからないだけで、過去のことを言う場合は「昭和30年代の高度経済成長期」などと言う。
平成生まれでは昭和と西暦の換算ができない人が増えており、そういう人が元号廃止を主張する場合、不満の矛先は役所や銀行のみならず、昭和生まれが雑談などで使う元号に及ぶ。

終戦前に生まれた世代は生まれた年を「昭和18年生まれ」のように元号で覚えており、西暦への換算ができない。
戦前・戦中生まれも平成生まれも昭和と西暦の換算ができないというケースが多いだろうが、老人は西暦がわからず、若者は昭和がわからないので、意思疎通がうまくいかなくなる。
若者「何年生まれですか」
老人「昭和18年生まれです」
若者「昭和だとわかりません。それは西暦何年ですか」
老人「西暦はわかりません」
という会話があちこちで行われているだろう。

昭和でも戦後に生まれた世代なら昭和18年が1943年であることはわかる。

生まれた年を元号で覚えている世代が鬼籍に入る時代になれば、元号廃止が完全なものになるだろう。

中国では1911年の辛亥革命から107年、つまり1912年の中華民国建国から106年、1949年の中華人民共和国建国から69年、来年は建国70年である。
そうなると今年60歳の人でも、現代中国建国後9年経ってから生まれたので、生まれた年を「一九五八年」という風に西暦で覚えているはずだ。
1949年を「民国38年」で覚えている人はもう少数派だろう。
また、辛亥革命の前の宣統帝、光緒帝、同治帝などの時代に生まれた人はもうほとんどいないはずだ。
清朝の元号があった時代に生まれた人は、日本では大正生まれか明治生まれに相当する。

もし日本で2020年辺りに元号が廃止されても、過去の昭和や平成と西暦の換算が必要な時代はしばらく続き、西暦2090年くらいの21世紀末になって、やっと老人も西暦世代になるであろう。

改元すると前の元号と西暦の換算ができなくなる人が増えている。
平成生まれは昭和と西暦の換算ができないようだ。昭和生まれは、昭和時代に、明治生まれや大正生まれの人の年齢をどう計算したか思い出す必要がある。

明治以降の元号と西暦の計算は日本人としては「常識」と思う人が多いだろうが、慶応以前になると大変であろう。
カレンダーに「明治151年 大正107年 昭和93年」と書かれてあるのは、西暦になじみのない年寄り向けだが、もう明治生まれはほとんどいないから、「明治」が省かれているものもあるようだ。
これが、160年前は寛政5年とか、200年前は文政元年になると、どんな高齢者でも西暦に換算しないと理解できないであろう。

江戸時代は元号の重要さと面倒さが混在している時代である。
江戸時代の歴史は「明暦の大火」「元禄赤穂事件」「安政の大獄」など、元号で時代のイメージが強調されているが、一方で元禄→宝永→正徳→享保、あるいは天保→弘化→嘉永→安政→万延など、元号が目まぐるしく変わっていた。
元禄15年の赤穂浪士の吉良邸討ち入りから、文久3年の新撰組結成まで160年。これは西暦で計算するとわかるのであって、元禄~宝永から万延~文久までの年数を足していたのでは効率が悪い。