2018年(平成30年、昭和93年、大正107年、明治151年、慶応154年)1月31日付、毎日新聞投書欄で85歳で無職のご老人が「元号は必要なのだろうか」という趣旨の投稿をして、元号廃止を訴えていた。
これに対し、2月6日付の投書欄で、71歳の無職の人が「元号 大切な文化だと思う」という投書で反論していた。

まず85歳の人は29年前の昭和→平成の改元の時は56歳。73年前の終戦の時は12歳か13歳。明仁天皇と同世代の昭和ヒトケタ生まれだ。この人は生まれてから半世紀余り、「昭和」に馴染んできて、還暦を迎えた辺りで平成と西暦の換算が面倒になり、元号廃止を主張し始めたのだろう。

元号廃止論者は2種類の記年法を覚えられないようで、老人なら高齢によるもので、若者なら経験不足によるものだ。これは元号廃止の理由としては説得力に欠ける。

一方、元号を守りたい側は、元号に強いというより「西暦に弱い」という弱点があるようだ。
つまり元号派「元号依存症」のために残っているのである。

2月6日の当初で、元号を文化として守ろうと主張する71歳の視聴者も昭和生まれのようであるが、こちらは昭和フタケタ、戦後2年経って生まれたようで、団塊世代に近いだろう。この人は「私の曽祖父は1867年生まれで1964年没」という例を挙げており、誰の曽祖父か明記されてないが、おそらくこの投稿者の曽祖父だろう。この人が言う「曽祖父」は1867年生まれで、1964年没。この投稿者によると、このように西暦だけで生没年を述べると、どんな時代か「想像しにくい」らしい。それで「曽祖父は慶応4年生まれで明治、大正の時代を生き、昭和39年に97歳で他界した」のように元号を使うとわかりやすいらしい。

ここで問題なのは、この人は「西暦1867年から1964年まで」という西暦だけの記述では幕末~明治~大正~昭和という時代を想像できないのだろうか。
西暦に慣れていれば、「1867年生まれ、1964年没」という年号を見聞きしただけで、幕末から明治~大正を経て昭和の東京五輪の年まで生きたことが充分理解できる。
しかも1867年から1964年まで97年というのは西暦なら自明だが、「慶応3年から昭和39年まで」では何年経過したか計算するのが面倒(下注釋)だから、「97歳」という年齢を追加しないといけない。
この元号擁護は元号を大事にしていることより、西暦だけでは時代を想像できないようで、この方が問題だ。

夏目漱石は1967年(慶応3年)生まれで1916年(大正5年)に49歳で没。
元号派は「慶応3年生まれ、明治の時代を生きて、大正5年に49歳で他界」と表現したいのだろう。
しかし歴史上の人物の生没年を語る場合、一々、間の元号を列挙しないと時代をつかめない人は、相当、面倒なことをしているのだろう。

例えば福沢諭吉は天保5年生まれで明治34年没。
西暦では1835年(天保5年は普通、1834年だが、諭吉の生まれた日は陽暦で1835年)生まれで1901年没になる。
前述の元号派の人は、福沢諭吉について「諭吉は天保5年に生まれて、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治の時代を生きて明治34年に世を去った」と語るのであろうか?

過去の人の生没年を語る場合、一々、間の元号を述べないと時代がわからない人は勉強不足だろう。
徳川秀忠の正室・江姫こと崇源院(すうげんゐん)は天正元年うまれだが、この人の生涯は1573年から1626年まで。これだけでも1682年の本能寺の変、1600年の関ヶ原の合戦、1615年の大阪夏の陣などの激動の時代を生きた人だということは充分わかる。

前述の「元号は文化 大切にしよう」と主張する人は「江姫は天正、文禄、慶長、元和、寛永の時代を生きた」と説明するのだろうか?
確かにこれだと江姫は信長の時代の末期(天正)から朝鮮出兵(文禄、慶長)、関ヶ原(慶長)~夏の陣(慶長~元和)の時代を生き、家光の時代の初期(寛永)を見届けて没したことがわかる。

しかし、前述のとおり、西暦だけでもこの時代背景はわかる。

しかも、三蔵法師、ジャンヌ・ダルク、エカテリーナ2世、マリー・アントワネット、ナポレオン、林即時、洪秀全などの生涯について、一々元号を列挙していたのでは、さすがに面倒であろう。

アヘン戦争終結は1842年。これで香港がイギリスの植民地となり、変換されたのは1997年。155年が経過した。この歳月を西暦で表しても日本の江戸時代かtら平成までの時代のまたがることはわかる。

一方、アヘン戦争から香港返還までを元号で表したらどうか。
アヘン戦争終結は日本で天保13年、香港返還は平成9年。確かに天保の改革の時代から平成初期までであることはわかるが、何年経過したかは計算しにくい。

元号派は、「アヘン戦争は天保年間で、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和を経て平成の時代に香港が返還された」と説明するのか?あるいは元号派は「アヘン戦争は道光20~22年、ビクトリア女王即位3年~5年の時代で、香港が返還されたのは中華人民共和国48年、エリザベス女王即位45年の時代」と述べるのか?

この投書欄を見る限り、元号を廃止したがる人は平成になって高齢化し、計算が面倒になった人らしい。
そして、元号を守りたい人は、歴史上の人物の生きた時代を理解するのに、元号を使わないと理解できない人らしい。
どちらもそれぞれ問題がある。


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2018年2月

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注釋
「慶応3年から昭和39年まで」では何年経過したか計算するのが面倒
昭和39年は「明治時代44年間+大正時代14年間+昭和になって39年目」なので44+14+39=97となる。
慶応3年は明治元年の前年、大正元年は明治45年なので、大正元年=明治45年の時点で慶応3年から45年が経過していた(これを西暦でやると1867年から1912年まで45年)。次に昭和元年=大正15年の時点で大正元年から14年、つまり明治45年から14年経過していたので、昭和元年は明治59年、慶応3年から59年に相当する(この計算を西暦でやると18687年から1926年まで59年)。次に昭和元年から昭和39年まで38年なので、これは昭和元年=明治59年から38年だから97年。なお、昭和元年は大正15年なので、昭和39年は大正15年+38年で、大正53年に相当する。
夏目漱石は慶応3年生まれで大正5年没。この計算も44+5で49歳没となる。
袁世凱は安政6年(咸豊9年)生まれで大正5年(民国5年)没。これだとだすがに元号だけで計算するのはきつい。
「昭和39年」は「明治97年」に相当する。