1780年以降の西暦と元号
 
天明 元年は西暦1781年 →西暦との差は1780
寛政 1789 →西暦との差は1788
享和 1801 →西暦との差は1800
文化 1804 →西暦との差は1803
文政 1818 →西暦との差は1817
天保 1830(疑似西暦) 陽暦では1831年から →西暦との差は1829
弘化 1844(疑似西暦) 陽暦では1845年から →西暦との差は1843
嘉永 1848 →西暦との差は1847
安政 1854(疑似西暦) 陽暦では1855年から →西暦との差は1853
万延 1860 →西暦との差は1859
文久 1861 →西暦との差は1860
元治 1864 →西暦との差は1863
慶応 1865 →西暦との差は1864
明治 1868 →西暦との差は1867
大正 1912 →西暦との差は1911
昭和 1926 →西暦との差は1925
平成 1989 →西暦との差は1988
令和 2019 →西暦との差は2018
 
 
この時期の天皇の交代
1779年、後桃園天皇没→安永8年11月25日1780年1月1日)、光格天皇即位。
 
文政から天保への改元は文政13年12月10日(グレゴリオ暦1831年1月23日)、天保2年は1831年2月13日から始まった。1830年9月26日生まれの大久保利通は文政13年8月10日生まれ。しかし、計算の便宜上、1830年を「天保元年」、更に1829年(文政12年)を「天保0年」とする方が便利。
 
1830年を「天保元年」、1844年を「弘化元年」、1854年を「安政元年」とするのは「疑似西暦」である。
 
1780年1月1日(安永8年11月25日)に光格天皇が即位。1781年4月25日(安永10年4月2日)、光格天皇の即位のため代始改元で元号が「天明」になった。光格天皇の時代の他の元号「寛政」「享和」「文化」は即位と無関係。
 
皇太子徳仁親王は1960年(昭和35年)生まれなので即位(2019年、平成31年、新元号元年)の翌年(2020年、新元号2年)で還暦。これだと2019年以降の新元号も30年ほどで終わる可能性がある。弟である秋篠宮文仁親王が後を継いでも何年続くか。今度の改元で慌てている人は30年後のことも考えておくべきだ。
 
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