1967年~1969年
  • 【中学編】岩鬼正美、青田小学校で4年から6年まで番長になる(1973年5巻基準、1973年度で中3の場合、岩鬼は4月1日生まれなので1959年生まれ)。
1968年 
  • 【高校野球編】春、山田太郎ら4人が家族旅行中に交通事故に巻き込まれる。
  • 当時10歳の山田太郎が妹・サチ子を守り生還、両親が死亡する(1巻~14巻基準、1974年度で16歳の場合、10歳だったのは1968年)
1970年代
  • 1971年 
    • 【高校野球編】春、山田太郎ら4人が家族旅行中に交通事故に巻き込まれる。当時10歳の山田太郎が妹・サチ子を守り生還、両親が死亡する(31巻基準、1978年で17歳の場合、10歳だったのは1971年)。
  • 1972年
    • 【中学編】山田太郎が鷹丘中学校へ転校する。そこで岩鬼と出会う。
  • 1973年
    • 【中学編】山田太郎、小林の目の手術が成功した影響で再度野球に対する情熱が爆発、岩鬼が主将を務めていた野球部に入部、その後殿馬一人と出会い野球部へ誘う。夏の地区大会で一回戦の東郷学園戦を死闘の末敗北する。
  • 1974年 
    1975年
  • 【高校野球編、山田高1】8月、第56回全国高等学校野球選手権大会決勝。明訓高校がいわき東高校を破り優勝する(ドカベン)。
  • 【高校野球編、山田高1】岩鬼正美が暴行事件を起こし10日間謹慎を受ける。
  • 【高校野球編、山田高1】微笑三太郎が誤って明訓高校に転校する。土門剛介と山田太郎らが初対面を果たす。
  • 【高校野球編、山田高1】甲子園での頭の負傷がもとで肘を故障。山田が逆療法を勧める。ここで野村克也プロ22年目と判明(少年チャンピオンコミックス19巻)。
  • 【高校野球編、山田高1】秋の神奈川県大会。白新戦。里中がキャプテン(少チャンC19巻まで)。
  • 1976年
    • 【プロ野球編】5月5日山田太郎誕生。
    • 【高校野球編、山田高1】秋の神奈川県大会。白新高校、東海高校、横浜学院と対戦。明訓が優勝し、徳川監督辞任、キャプテンは山岡になり、土井垣監督就任(少チャンC20~22巻)。
    • 1977年
  • 【高校野球編、山田高1】秋の関東大会開幕。途中、甲府学院戦で山田太郎がアクシデントにより記憶喪失となるも関東大会を制する(ドカベン少チャンC24~27巻)。
  • 土井垣将と犬飼小次郎がドラフト指名されるものの、2人とも条件付きで断る(少チャンC27巻)。
  • 大沢監督の日ハムが土井垣を、広瀬監督の南海が犬飼小次郎を指名。
  • 【高校野球編、山田高1~高2】3月、選抜高等学校野球大会開催。山田の甲子園での打撃練習を田淵と掛布が見学。江川学院の中二美夫が山田を5打席連続敬遠(少チャンC27~29巻)。
  • 1978年
    • 【高校野球編、山田高1~高2】3月、選抜高等学校野球大会決勝。明訓高校が土佐丸高校を破り優勝する(30~31巻)。殿馬の打った打球はラッキーゾーンに入る(1992年以降、ラッキーゾーンは存在しない)。サチ子がスタンドで「電線音頭」の替え歌を歌う。アニメで岩鬼が「夢想花」の替え歌を歌う。
    • 【高校野球編、山田高2】4月、渚 圭一が野球部に入部。
    1978~1979年
    • 【高校野球編、山田高2】7月、夏の予選始まる。明訓が神奈川大会2連覇を果たす。予選中、一人がハイジャックに巻き込まれ、右肩を負傷する。
    1979年
  • 1980年代
  • 1980年
    • 【高校野球編、山田高2】夏の甲子園で通天閣高校が甲府学院を破って優勝する。
    • 【高校野球編、山田高2】8月、太平が明訓高校監督になる。
    • 【高校野球編、山田高2】秋、明訓高校が関東大会2連覇を果たす。
  • 1980~1981年
    • 【高校野球編、山田高2~高3】3月、選抜高等学校野球大会開催。明訓高校が選抜2連覇を達成する[1]。里中が一時野球部を退部する。
    • 【プロ野球編】土井垣が野球を始める。
    • 【高校野球編、山田高3】7月、夏の予選開幕。明訓高校が神奈川大会3連覇を果たす。決勝の会場は横浜スタジアム(1978年完成)。
    1984年
    1985年
  • 【高校野球編、山田高3】夏の甲子園で、明訓が青森りんご園農業高校に勝利。「山田がロッテを逆指名」騒動。ロッテは当時、オリオンズ。阪急がオリックスになる前。明訓が巨人学園と対戦。準決勝で青田高校と対戦。里中が見た夢では、この次の年、清原と山田が西武に、桑田真澄が巨人に、里中が巨人に入団(実際は千葉ロッテ)。
    • 【プロ野球編】春、山田太郎ら4人が家族旅行中に交通事故に巻き込まれる。当時10歳の山田太郎が妹・サチ子を守り生還、両親が死亡する(ドカベン)。
    • 【プロ野球編】里中智、5年生で初めて投手となりエースを手に入れる。
  • 【高校野球編、山田高3】『大甲子園』終了。
  • 【高校野球編、山田高3】全国高等学校野球選手権大会決勝。明訓高校が優勝する[2](大甲子園)。
1987年~1989年
  • 【プロ野球編】岩鬼正美、青田小学校で4年から6年まで番長になる。
1988年

 

1990年代

  • 1990年
    • 【プロ野球編、山田中2】山田太郎が鷹丘中学校へ転校する。そこで岩鬼と出会う。
  • 1991年
    • 【プロ野球編、山田中3】山田太郎、小林の目の手術が成功した影響で再度野球に対する情熱が爆発、岩鬼が主将を務めていた野球部に入部、その後殿馬一人と出会い野球部へ誘う。夏の地区大会で一回戦の東郷学園戦を死闘の末敗北する。山田太郎は中学3年生。土井垣は高校2年。
    • 【高校野球編、山田高3】7月、神奈川明訓と新潟明訓が練習試合。小林幹英と山田太郎はともに高校3年生。渚、高代は高校2年。
  • 1992年
    • 【プロ野球編、山田高1】4月、山田太郎と岩鬼正美、殿馬一人里中智が明訓高校へ入学、野球部へと入る(ドカベン)。
    • 7月、明訓高校が夏の予選を制す。
    • 8月、第74回全国高等学校野球選手権大会開幕。明訓高校がいわき東高校を破り優勝する(ドカベン)。
    • 秋、岩鬼正美が暴行事件を起こし10日間謹慎を受ける。
    • 微笑三太郎が誤って明訓高校に転校する。土門剛介と山田太郎らが初対面を果たす。
    • 関東大会開幕。途中、甲府学院戦で山田太郎がアクシデントにより記憶喪失となるも関東大会を制する(ドカベン)。
    • 土井垣将と犬飼小次郎がドラフト指名されるものの、2人とも条件付きで断る。
    • ダイエーホークスが犬飼小次郎を指名。
  • 1993年
    • 【プロ野球編、山田高1~高2】3月、第65回選抜高等学校野球大会開催。明訓高校が土佐丸高校を破り優勝する(ドカベン)。
    • 【プロ野球編、山田高2】4月、渚 圭一が野球部に入部。
    • 7月、夏の予選始まる。明訓が神奈川大会2連覇を果たす。予選中、一人がハイジャックに巻き込まれ、右肩を負傷する。
    • 8月、第75回全国高等学校野球選手権大会開幕。明訓が弁慶高校に敗れる。その後土井垣は監督を辞任、日本ハムファイターズに入団する。通天閣高校が優勝する。
    • 犬飼小次郎はダイエーホークスに入団。
    • 8月、太平が明訓高校監督になる。
    • 秋、明訓高校が関東大会2連覇を果たす。
  • 1994年
  • 1995年
  • 1996年
    • 1月10日、岩鬼らが明訓5人衆が合同トレーニングを始める[10]。そこで広中と出会う。
    • 3月3日[11]、ダイエー対巨人戦始まる。岩鬼がホームランを放ち勝負を決める。
    • 3月28日[12]、開幕一軍メンバーが発表される。里中が入っていないことが明らかに。
    • 3月30日、ペナントレース始まる[13]
    • 4月6日、ダイエー対西武戦で犬飼小次郎が復活する[14]。ダイエーホークスから指名されたのは4年前。
    • 岩鬼正美、最終戦で41号を打ってパリーグホームラン王となる[15]
  • 1997年
    • 山田太郎、途中から4番に定着する。
  • 1998年
 

これはプロ野球編の時代設定で、山田太郎は1976年(昭和51年)生まれ。高校野球編では1976年当時の山田太郎は16歳、高校1年秋の神奈川県大会から関東大会まで。当時、明訓の監督が徳川監督から土井垣監督に交代した
ドカベンシリーズの世界における年表 - Wikipedia
11:41 - 2018年6月21日        
 
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