〔松井計@matsuikei〕
で、星一徹。飛雄馬を殴った時も、体罰の効果を狙ってではなく、完全にキレて殴っちゃったんですよね。ちなみに、よく言われるちゃぶ台返しはこのとき。殴った勢いでちゃぶ台がひっくり返った。なので、一徹は体罰の効果なんか考えてなかったと思う。ただ、そうなるとオズマの件が整合しないなあ……。
一徹がオズマと伴の打撃を鍛えたのならなぜ飛雄馬を打者として鍛えなかったのか不思議ですね。飛雄馬も早くから打者になることを考えていれば左腕破壊もなかったでしょう。オズマは自らを「野球ロボット」としていましたが、殴られるのは「奴隷」のようだとして嫌がっていました
〔松井計@matsuikei〕
.でしたね。そのあと、『奴隷けっこう、奴隷になれいっ』とか言うんでしたね。第3部連載開始の冒頭でした。飛雄馬の打撃を鍛えなかったのは、投手を一段、上の存在と見なしてたのかも知れませんね。
@kajiwara_bot 1973年春のOP戦、金田正一率いるロッテと巨人の試合だったと思う。原作で番場蛮の球種は’71年速球→’72年ハイジャンプ魔球→’73年大回転魔球→’74年ハラキリシュート→分身魔球という流れ。金田は大回転を破ろうとしたが番場はHJとの二刀流でしのいだ。
posted at 01:27:50
大谷 球宴で二刀流!自己最速タイ157キロ出た(スポニチアネックス) - Y!ニュース
水島漫画の中西球道、不知火守、藤村甲子園は時速160km台の剛速球を投げた。
上手く言えないのですが、梶原先生にとってエースナンバーは(特にプロ野球の世界では)特別な価値を見いだしていないように思います。もっと大きなもの、巨人軍のなかでの象徴たるものを飛雄馬には背負わせたかったのでしょうね。 〔#Kajiwara〕
posted at 09:45:53
野球における投打二刀流について。
#巨人の星
星飛雄馬は青雲高校時代、打撃でも勝負強さを見せたが、左投手時代は入団テストの時と伴トレード後の打撃練習の場面があるのみ。「新巨人の星」では草野球の代打稼業を経て右投手として復帰。打者として初めて本塁打も放った。
#巨人の星
星飛雄馬は青雲高校時代、打撃でも勝負強さを見せたが、左投手時代は入団テストの時と伴トレード後の打撃練習の場面があるのみ。「新巨人の星」では草野球の代打稼業を経て右投手として復帰。打者として初めて本塁打も放った。
posted at 19:49:51
#新巨人の星
星飛雄馬は長嶋巨人に打者として復帰しようとしたが、壊れた左腕では遠投ができず、守備が難点だった。後で生来の右利きが判明したが、もし飛雄馬が打者への轉向を早くから考えていたら、大リーグボール3号を多投して自滅する道を選ぶことはなかっただろう。
星飛雄馬は長嶋巨人に打者として復帰しようとしたが、壊れた左腕では遠投ができず、守備が難点だった。後で生来の右利きが判明したが、もし飛雄馬が打者への轉向を早くから考えていたら、大リーグボール3号を多投して自滅する道を選ぶことはなかっただろう。
posted at 19:55:24
posted at 19:58:41
「巨人の星」「侍ジャイアンツ」は梶原一騎原作。
「ドカベン」「一球さん」などの水島新司作品における二刀流はどうか。
岩鬼、賀間、土門、不知火、雲竜、犬飼兄弟、真田一球はもちろん、里中も最終的に明訓の3番打者に「出世」した。
「ドカベン」「一球さん」などの水島新司作品における二刀流はどうか。
岩鬼、賀間、土門、不知火、雲竜、犬飼兄弟、真田一球はもちろん、里中も最終的に明訓の3番打者に「出世」した。
posted at 20:03:44
星飛雄馬が「星飛馬」になっていた。「飛馬」とかいて「ひゅうま」と読む名前があってもおかしくない。#巨人の星
posted at 20:04:58
posted at 20:10:54
#ドカベン
野球の投打二刀流について。
明訓が弁慶高校に敗れた甲子園大会(高校野球編では1979年夏、プロ野球編では1993年夏)。決勝は甲府学院と通天閣高校。投手・賀間vs打者・坂田、投手・坂田vs打者・賀間の対決でほとんど個人戦。こういうライバル同士の試合も、もっとたくさん見たかった。
野球の投打二刀流について。
明訓が弁慶高校に敗れた甲子園大会(高校野球編では1979年夏、プロ野球編では1993年夏)。決勝は甲府学院と通天閣高校。投手・賀間vs打者・坂田、投手・坂田vs打者・賀間の対決でほとんど個人戦。こういうライバル同士の試合も、もっとたくさん見たかった。
posted at 20:18:03
〔菅原 清和(BON)@BON_SUGAHARA〕
梶原先生は番場を飛雄馬のような投手としてではなく、個性あるプレイヤーとして描こうしたみたいです。でも人気に結びつかず巨人の星パターンに路線変更に。当初の路線が続いていればイチローに先駆けたメジャーリーガーになっていたかも。残念です。
梶原一騎の野球漫画には野球以外の教訓や格言が多い。真偽はともかく坂本龍馬の逸話があり、宮本武蔵、山中鹿介、北条時頼と鉢の木(これは余り共感できない)の話など。水島新司の作品は野球をやる上では参考になるが、こういう人生訓のような逸話はほとんど無い。
王監督の後で藤田元司が再び巨人の監督になった時、新庄童夢(『ミラクルジャイアンツ童夢くん』)、そして番場(番場蛮の甥、『よみがえれ侍』)が巨人に入った。この時の背番号18の投手は桑田真澄(入団は王監督の時代)だった。
返信先: @BON_SUGAHARAさん
「ちかいの魔球」「黒い秘密兵器」から「ドカベン」への流れで考えると「巨人の星」「侍ジャイアンツ」は野球漫画が魔球漫画から脱却する過渡期だったのかも知れません。「ドカベン」でも後に里中がスカイフォーク、不知火がイナズマといった魔球をどんどん投げていましたが。