序盤において実質的な主人公はゲンではなく両親であり、ゲンはまだ幼く、ゲンがいじめられるとゲンは父親に「戦争に反対しないでくれ」と泣きついていた。考えることは、ほとんど「いつになったら腹いっぱい、飯が食えるか」ということのみだった。

1巻冒頭
空襲警報。防空壕に逃げるゲンと姉たちは、麦畑の麦パンやウドンが食える話。
次兄・昭は疎開。ゲンたちは「田舎は食べ物がたくさんあるだろ」と考えていたが、母親から「田舎でも食べ物は少ない」と言われ、落胆。

ゲンの父・大吉が竹槍の訓練で戦争反対を主張。アメリカと日本では資源が違う。資源の少ない日本は貿易で生きていく以外に道はないという意見。金持ちが金もうけのために国民に無断で戦争を初め、戦争は貧乏人には何一ついいことはないというのが論拠。経済封鎖を食らったから戦争をした日本が戦争を続けても貧しいままなのはなぜだったか。議論が深まっていない。

ゲンと進次はコメひと粒、イモ1個を争って喧嘩。大吉にとってはこれも「戦争のせい」。

大吉が警察につかまる。大吉は「竹槍の訓練より仕事」「働かないと子供たちが飢えて死ぬ」と主張。国は勝手に戦争をして国民から食料などを巻き上げ、それで救ってくれたことはない。この主張は後に戦後編のゲンに受け継がれる。

大吉の反戦の理由は「子供に食べ物を与えてやるため」だった。
しかし戦争に反対した中岡家は、それで「非国民」扱いされ、大吉が警察にいる間、進次が「おなかすいた」と叫び、状況は悪化していた。

疎開先でも昭と級友はその日、その日の食べ物ばかり考えていた。級友いわく「田舎へ行ったらたくさん食べられると思っていたのにがっかり。ここでも子供たちの頭の中は「食い物」だらけである。
昭が中岡家に戻ると、空襲を受けた場合の安全のため、田舎に戻るよう言われる。昭は「みんな腹いっぱい食っているんだろ。わしがいると食い扶持が減って邪魔なんだろ」と言って、大吉から殴られる。大吉が昭に米をあげるよう君江に言う。進次「わしらの食べる分が減るぞ」、ゲン「昭あんちゃんのためだ、我慢せえ」。

昭は再び疎開先へ。君江いわく「戦争さえなければ家族そろって暮らせたのに」。

当時の子供は空襲による危険すらも考えず、どこならたくさん食えるか、家に人が減ったらたくさん食える、人が増えたら自分の食う分が減る、そういうことばかり考えていたようだ。ゲンは後に居候先の江波でこの「食糧優先主義」による虐めの洗礼を受けることになる。

ゲンの長兄・浩二が予科練に志願。
大吉は知人に荷物を預ける。
雑炊を出す店に長蛇の列。
中岡家は配給の券を使ってしまったのでもらえない。進次はここでも不満を言う。
大吉「雑炊1杯を食うのに行列をしないといけない。戦争のせいだとみんなわかっているのに、なぜ我慢をしているんだ」。雑炊を巡って庶民同士喧嘩。この怒りが政府や軍部に向かない。

中岡家は荷物を預けた知人から大量のサツマイモをもらうが、配給でもらったものではなく(朴さんからコメをわけてもらったこともあったが少量)、それで警察によって没収される。進次はイモを取られたので号泣。
大吉は子供たちに食べ物を与えることばかり考えており、しかも戦時化において、生活必需品が配給制になったのに、別のルートから食べ物を大量に仕入れようとした。これで警察に没収されることを想定していないのは甘い。

この道中、ゲンが建物の屋根にPとあるのを見つけ大吉に質問、これはアメリカの捕虜がいる合図だとわかった。

ゲン、進次、英子は自宅の屋根にPの字を書き、空襲されないようにした。しかしこれは原爆には無力で、アメリカ兵も犠牲になった。

原爆投下後、ゲンがコメを手に入れたが隆太に奪われる。隆太とその仲間がやっていたことも食糧調達のための窃盗であった。ゲンは「みんな戦争とピカのせい、やつらは悪くない」と言っていた。

居候先の江波で、ゲンたちは虐められたが、これも居候先の子供2名が、自分の食べる分を確保するためだった。家のコメを黙って食うことは中沢啓治もやっていた(『おれは見た』)。

君江にコメ泥棒の濡れ衣が着せられ、君江は最初、否認していたが、留置所に居られらるとゲンと友子を養えないと思い、罪を認めてしまう。ここでも理由は「子供のため」「生活のため」である。

ゲンは何かというと家を出て、金儲けと食糧調達のために、あちこち歩き回っていた。
それで留守を任された昭はいつもゲンに怒っていた。

隆太がヤクザ2名を銃殺した事件も、ゲンが友子のためにミルクをヤミで手に入れようとして、ヤクザたちと組み、米軍基地に侵入したせいである。
ゲンが家に戻ると君江が倒れていたこともあるし、友子がさらわれたのもゲンが級友の少女の家で罐詰の肉を食っていて帰宅が遅れたせいである。

ゲンはしょっちゅう学校をさぼっていた。学校より食糧調達とカネもうけが大事だった。それで雨森から「学校での紅白のモチをくれる」と言われると学校に行った。全ては食糧優先。それで帰ってきたら昭が激怒、母親が血を吐いて倒れていた。

ゲンが意気揚々と「モチを手に入れて来たぞ」と言って帰宅しても、昭から見れば「ゲンはいつも勝手に遊び歩いている」という風に見えただろう。

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