すずさんの見合い結婚くらいで平成世代が驚くなら、 はどうなんだろう。ドラマで武士の時代の侍が姫が現代的な反戦思想を訴えるのに比べ、昭和の女性の方が時代に適応していたように見える。

すずは非常時の中でも日常の感覚を保っていた。
空襲を見ても絵のことを考える人だから晴美を守れなかった。
一方、東北の被災者の我慢強さは、震災時も日常のモラルを守ったからであろう。
むしろ戦後の方が無秩序であった。

では配給が減っても、すずは少ない食材をどう料理するか考えていた。ではゲンの父が周りの「戦争に反対しない民衆」に怒っていた。食べ物が少ないのは戦争のせいなのに当時の大衆は我慢して雑炊を食べるために並び、庶民同士で食べ物を取り合って喧嘩をしていた。

でゲンの父親が戦争に反対した理由は「子供たちが飢えている」からだった。「おれは見た」によると当時の子供は食べ物のことばかり考えていたようだ。戦後、日本の民衆がデモをした時、「憲法ヨリ食糧ダ」という主張もあったようだ。多くの日本人は戦争より新憲法制定に反撥していた。

おそらく太平洋戦争前にゲンの両親が結婚したのは見合い結婚で、子供は5人。ゲンの父・大吉が戦争に反対していた理由の一つは家族を食わせるために仕事が忙しいこと、子供たちが育ち盛りなのに食べ物が軍に回されていたことだった。

では米軍による岩国(山口県にあり、広島県と隣接)への空襲も描かれていた。ゲンの父親が山の向うの空襲を見ながら「戦争はもうやめろー」と叫んだ場面である。

『はだしのゲン』では、アメリカが岩国を空襲した時からマンハッタン計画を進めていたことになっている。

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