平成24年tw
出来るだろう。ガタイばっかりデカいのは頭数揃ってるから。野球でダメだと言われた選手が体面気にして相撲を拒否とは言ってられまい。
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[ 2012年11月9日 06:00 ]
野球選手を土俵へ=大相撲(時事通信) - Y!ニュース
「ドカベン」の山田太郎は相撲→野球→柔道→野球という経歴である。水島新司は相撲好きなのだろうが、プロレス漫画の原作を多くやっている梶原一騎は相撲劇画に手を付けていなかったのだろうか。
posted at 21:00:39
 
@kyojitsurekishi 水島新司の「ドカベン」が最初は柔道漫画だったことは有名だが、「新潮45」2013年新年号197頁によると、壁村耐三編集長の判断で途中から野球漫画になったらしい。しかし水島氏は「ドカベン」を始めた時からいずれ野球漫画にするつもりでいたらしい。
posted at 23:30:04
@kyojitsurekishi 「ドカベン」初期の柔道編では山田太郎が鷹丘中学に轉(転)校してきた時、野球部の長島投手(長嶋茂雄に似ているが別人)が山田の野球の素質を見抜いて山田を打席に立たせてテスト。また柔道部時代の山田太郎は柔道部員の練習に野球を取り入れている。
posted at 23:33:06
 
@kyojitsurekishi 水島新司は「ドカベン」を始めた時、「男どアホウ甲子園」をやっていたので野球漫画がダブるのを避けようと考え、「男どアホウ」が終わるまで「ドカベン」を柔道漫画として続け、「男どアホウ」が終わったら「ドカベン」を野球漫画にしようと思っていたらしい。
posted at 23:34:26
 
@kyojitsurekishi 藤村甲子園が阪神に入って長嶋茂雄と対戦したのは長嶋茂雄が引退した1974年。山田太郎が明訓高校に入ったのはその1974年で、当時16歳の山田太郎はその時の設定で1958年生まれで、原辰徳と同い年だった(プロ野球編では山田は1976年生まれ)。
posted at 23:37:48
 
@kyojitsurekishi 「新潮45」2013年1月号を見て、「ブラックジャック」が連載していた全盛期の「少年チャンピオン」では続き物は「ドカベン」だけで他の当時の連載漫画はギャグ漫画であろうとなかろうと皆1話完結だったという記述があり、言われてみればそうだった気もする。
posted at 23:43:55
 
@kyojitsurekishi 「新潮45」2013年1月号198頁にあるブラックジャックが参加した同窓会では、水島新司そっくりの先生もいたし、「がきデカ」のこまわり君や「マカロニほうれ荘」のトシちゃんそっくりの先生もいた。
posted at 23:49:33
 
@kyojitsurekishi 小学生の時、秋田書店の少年チャンピオンコミックス「ドカベン」の単行本を買うと巻末に「ドカベン」と「男どアホウ甲子園」の宣傳が並んでいて、他誌の掲載漫画の単行本の宣傳チラシも入っていた。
posted at 00:00:40
 
@kyojitsurekishi 「男どアホウ甲子園」が連載された「少年サンデー」は小学館の雑誌なのだが1970年当時は秋田書店がサンデーコミックスと称して他誌の漫画の単行本も出していたようだ。当時各出版社は漫画を単行本として残すことを重視しておらず他社にやらせて平気だったらしい。
posted at 00:04:43
 
@kyojitsurekishi 後に「大甲子園」「ドカベンスーパースターズ編」で藤村甲子園と真田一球が「ドカベン」の世界に合流したのは何とも奇遇だ。
posted at 00:13:08
 
@kyojitsurekishi 梶原作品で言うと「巨人の星」は講談社の少年マガジン連載でKCも文庫も講談社から。「侍ジャイアンツ」は集英社の少年ジャンプ連載で単行本もジャンプコミックスから出たようだが文庫は講談社から出た。「新巨人の星」は週刊読売連載だが今の文庫は講談社から。
posted at 00:17:40
 
@kyojitsurekishiサンデーコミックス 秋田書店」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)  
明らかに秋田書店ではない別の出版社の雑誌に連載された漫画作品も多数混ざっている。
posted at 00:23:48
 
平成25年tw
@kyojitsurekishi 梶原一騎原作のスポーツ漫画で扱われた種目は球技の野球とサッカーの他は格闘技が多く、プロレス、柔道、空手、ボクシング、キックボクシングなど。梶原一騎の代表作に相撲漫画が見当たらないのは不思議。それで意外にも水島新司の方が度々漫画で相撲を描いている。
posted at 02:28:07
 
平成26年tw
@EddieBenoit 「厳しく接しながら実は優しい親」は梶原一騎・貝塚ひろしの「柔道讃歌」の巴突進太の母・ 輝子や、水島新司の「野球狂の詩」に登場した富樫平八郎の父親がいますね。藤子・F・不二雄のドラえもんにも初期にはスポ根時代の影響が見られます。
posted at 17:06:48
 
@kyojitsurekishi 「ドカベン」の山田太郎は相撲や柔道が得意なはずだが、明訓高校野球部に入ると、野球部に対する処分を恐れ、喧嘩を拒否し、喧嘩になりそうな場面でも一方的に殴られていた。
posted at 21:22:45
└→喧嘩両成敗 - teacup.ブログ“AutoPage”
 
平成28年tw
@kyojitsurekishi #ドカベン 山田太郎の場合、野球の他に相撲と柔道もやっていたので、本塁ブロックはお手の物だったはず。土佐丸戦ではこの問題もあった。
/捕球した野手がスタンドに落ちた場合、アウトか本塁打かという問題/
posted at 07:54:08
 
平成30年tw
「ドカベン」は、最初、中学柔道漫画だった。「男どアホウ甲子園」があったので野球漫画が重複するのを避けていたらしいが、水島新司が梶原一騎への対抗心で「ドカベン」を始めたのなら、柔道編から始まって野球編になったのは当然の流れだった。
 
令和6年pst
平成レトロ・スポーツ編 
平成24年(西暦2012年)11月9日
 
平成レトロ・スポーツ編 
 
山田太郎は少学生時代に相撲と野球をやっており、中学時代でも野球をやって、一時期、柔道へ移り、また野球に戻って高校に入学。
 
梶原一騎は「柔道一直線」と「柔道讃歌」で柔道を描き、「巨人の星」と「侍ジャイアンツ」で野球を描いた。 水島新司は「ドカベン」で柔道と野球を描いた。
 
 
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