武田鉄矢は藤子・F・不二雄存命時の映画ドラえもんの主題歌のほとんどの作詞を担当していたらしい。西田敏行も歌っていたのか
「新・のび太の日本誕生」応援団
 
56565656@givemegiveme22 10月21日
タイムマシンは時間を前後に動くんじゃなくて、時間軸のずれた平行世界に向けて横移動してると考えれば、ドラえもんが土偶の再生に気付いた時には手遅れだった、ってことに説明がつくよなってそんなことを真面目に考えている。いらっしゃいドク!
7:46 - 2015年10月21日:Twitterで表示された日時
 
確かに過去、現在、未来の出来事が同時進行しているような描写が多い。
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@kyojitsurekishi 「のび太の日本誕生」の「タイムパトロール」オチに関しては、その前の「パラレル西遊記」で何やってたのかという疑問があるので、「のび太の恐竜」をリアルタイムで見た側としては、あれで納得(下注釋)。
映画ドラえもんは特に「パラレル西遊記」以降、ゲームの要素(下注釋)が大きかった。「新日本誕生」は「新大魔境」の八鍬監督が作るのでそれほど大幅な改変はないと思う。寺本監督の「新鉄人兵団」の改変は非常に良かった。
posted at 18:37:1918:45:12
 
@kyojitsurekishi20代から下の人はギガゾンビを知らない」ことに気付いて驚く人がいるだろうが、そういう人も「のび太の日本誕生」が最初に劇場で見た映画だったら、まだ若い。今の大学生は20代であれば映画ドラえもん「のび太の日本誕生」公開の時の記憶はないだろう。一方、「のび太の日本誕生」公開当時、大学生だった人の多くは、映画「のび太の恐竜」の時は小学生で、それでも原作の連載開始当時の記憶はほとんどなかっただろう。
posted at 18:48:0019:48
 
@kyojitsurekishi ドラえもんの原作の連載が始まった直後の1970年の初めに生まれた人は「のび太の恐竜」映画化の時、10歳の小学生で、「のび太の日本誕生」の時には19歳の大学生になっていたわけだ。
神木隆之介は #のび太の日本誕生(1989)公開から4年経った1993年(#のび太とブリキの迷宮 公開)の5月に生まれ、ドラえもん声優交代の時に小5から小6になり、#のび太の恐竜2006 の時に小学校を卒業したはず。高校は2009年入学~2012年卒。2015年の時点で22歳。
posted at 21:52:3122:10:27
 
2008年の でキー坊の声を担当した吉越拓矢は1999年生まれ。 でお馴染みの大橋のぞみと同じ年の生まれ。2015年で16歳。
 
@smiyan 9年前から映画ドラえもんはリメイクとオリジナルが交互に公開されてます。2006年と2007年はリメイクが続いて、2012年と2013年はオリジナルが続きました。映画でも本編でもリメイクは20年前から増えてますし、26年前の日本誕生が来年リメイクされるのは自然です。
posted at 16:44:29
 
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関連語句
まっしぐら(twilog)

注釋
「のび太の恐竜」をリアルタイムで見た側としては、あれで納得
『のび太の日本誕生』は「石器時代の王さまに」と「ゆめの町、ノビタランド」(子供の土地問題)の続編であると同時に、『のび太の恐竜』の続編でもあるように見える。ドラえもんたちが石器時代の日本から中国安徽省和県まで移動する際、竜に乗ったしずかが「今度はタケコプターと違って電池切れの心配がなくてたすかるわ」(88頁)と述べていた。また、どこでもドアには古代の地図がインプットされてなかったが、ドラえもんが、どこでもドアに道筋をインプットしていたので(113頁)、ドラえもんたちが、クルルら、ヒカリ族の面々をどこでもドアで日本に連れて行った。
なお『パラレル西遊記』でドラえもんが唐代のアジア大陸で金角・銀角の瓢箪から脱出した際にもどこでもドアを使ったが、この場合は「古代の地図のデータ」の問題はなかったようだ。
最後のタイムパトロールによる解決も『のび太の恐竜』に似ている。確かに映画ドラえもん10作目(大長編9作目)だから最初の大長編に原点に戻った作品だったかも知れない。
のび太とドラえもんは「子供の楽園」を求めて箱庭の次に人工の島を作り、太古の地球や現代の宇宙空間まで足を延ばした。それが『ねじ巻き都市冒険記』などであった。一方、のび太とドラえもんが「ペット、動物たちの楽園」を求めた時も、人工の島を作ったり(「モアよ、ドードーよ、永遠に」)、太古の地球を訪れたりした(「のら犬『イチ』の国」)。これらの話はそれぞれ映画『のび太と奇跡の島』(2012)と『のび太のワンニャン時空伝』(2004)になっている。
 
ゲームの要素
1986年の『必殺まっしぐら!』の2年後に『のび太のパラレル西遊記』があったのでやはり、あの辺からゲームがブームだったようだ。『水戸黄門』にお銀・飛猿が参加したのもこの時期だった。

参照