1985年(昭和60年) 小林明子「恋におちて-Fall in love-」(♪ダイヤル回して手を止めた
1985年(昭和60年) 電話機自由化でトーンダイヤル・ダイヤルパルス方式共用の押しボタン式電話機登場
1985年(昭和60年) NTT「ショルダーホン」重量3kg
1985年(昭和60年) ドラえもん「いとなしいとでんわ(糸なし糸電話)」
_______ (『小一』198512月号←読者は1978年度生まれ)
1985年(昭和60年) 北条司『シティーハンター』連載開始
_______ └→冴羽はダイヤルの音で番号を識別(プッシュホンでは無理)
1985年(昭和60年) 斉藤由貴「白い炎」(♪最後の5【ファイブ】が押せなかったテレフォン
 
1986年(昭和61年) 徳永英明「Rainy Blue」(♪かけなれたダイヤル回しかけてふと指を止める) 
1986年(昭和61年) 中山美穂「色・ホワイトブレンド」(♪ダイアル回しながら"好き"とつぶやいてる)
1986年(昭和61年) 『めぞん一刻』アニメ化
1986年(昭和61年) 映画ドラえもん『のび太と鉄人兵団』(ドラえもんが糸なし糸電話を使用)
1987年(昭和62年) 小泉今日子「キスを止めないで」(♪電話ボックスにずぶぬれのままで逃げ込んで) 
1987年(昭和62年) NTTによる携帯電話サービス開始
 
ドラえもんの原作で「糸なし糸電話」が出たのは1985年らしい。翌'86年の映画「鉄人兵団」でもドラえもんが「糸なし糸電話」を使っていた。
「糸なし糸電話」の話は、のび太がしずかに電話をしようとしたのに家の電話が両親に占領されていたことから始まっていたらしい。30年近く前に描かれたようだ。のび太はしずかの家に行こうとしたが、ドラえもんが糸なし糸電話を出した。ところがこの電話は2人が1個ずつ持っていないと通話できないので、のび太は結局、しずかの家に行って、電話の片方を渡して帰宅。すると話そうとしていた内容を忘れてしまった。
のび太はこういう時はどこでもドアを使わないようだ。また糸なし糸電話を相手に渡すならそこで直接話せばよかった。勿論、のび太としずかが糸なし糸電話を1個ずつ持てば、その後は自宅の電話を使わずにいつでも自由に話せるわけだが、劇中でそうなったかどうか不明。
円道祥之(~まさゆき)氏が「空想歴史読本」で映画「電送人間」について検証し、柳田理科雄氏が「空想科学映画読本」で「ザ・フライ」について検証していた時に述べたように、人が機械で人や物を電送するなら2個セットの電送機(Telepods)の片方を相手の場所に運ばねばならない。
「糸なし糸電話」の話はこれと似ている。ある人が電送機を相手の居場所まで運べるなら、電送機は不要ではないか…?これについて柳田理科雄氏は「映画読本」で「まあ、電話だって最初はそうだったんだから、世間に普及すれば問題はないのだが…」と書いていた。
 
水辺で名曲誕生 2億4千万の瞳、涙のリクエスト・・・  地域  読売新聞(YOMIURI ONLINE)
 
森高千里が「渡良瀬橋」で「♪床屋の角にポツンとある公衆電話おぼえてますか」と歌ったのは1993年(平成5年)。国武万里がドラマ「ポケベルが鳴らなくて」の主題歌を歌ったのもこの時期。やはり当時はポケベルと公衆電話の全盛期だった。
 
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