1974年『小四』4月号掲載の「帰ってきたドラえもん」はエイプリルフールを題材にした作品。
 
 
 
「うそつ機」『小四』73年4月号(てんコミ3巻
└→「ソノウソホント」は「小二』71年7月号(てんコミ4巻
「帰ってきたドラえもん」『小四』74年4月号(てんコミ7)
 
「ハリ千本ノマス」『小四』75年04月号
 
└→「世の中うそだらけ(ギシンアンキ)」は小六75年7月号(てんコミ9巻
 
 
「化石大発見!」『小六』76年4月号(てんコミ11)
 
ドラえもんが未来に帰る話(修理のための一時帰還やのび太と喧嘩して一時的に戻った場合などは別)
 
1971年 『小四』3月号「ドラえもん未来へ帰る」(大全集1)
 
1972年 『小四』3月号「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」(大全集2)
 
1973年9/30 日テレ版さようならドラえもんの巻」(原作は「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」)
 
1974年 『小三』3月号「さようなら、ドラえもん」(てんコミ6)
 
 
1974年 『小四』4月号「帰ってきたドラえもん」(てんコミ7)
 
1981年1/3 「帰ってきたドラえもん」TVアニメ化
 
1998年3月 映画『のび太の南海大冒険』の同時上映で「帰ってきたドラえもん」映画化
2009年3/20 「さようならドラえもん」TVアニメでリメイク(ドラえもん みんなが選んだ心に残るお話30~「おばあちゃんのおもいで」編 [DVD]収録) 
 
2014年8月 『STAND BY MEドラえもん』公開(「帰ってきたドラえもん」などを3Dアニメ化)
 
 
「帰ってきたドラえもん」から41年。
 
 
個人的に、自分が「帰ってきたドラえもん」を映画で見たのは2014年の「STAND BY MEドラえもん」が最初。1998年当時の短編映画は全く見ていない。
 
「帰ってきたドラえもん」で、のび太に対し、「ドラえもんが帰ってきた」という嘘をついたのはジャイアンだけで、スネ夫がついた嘘は「ツチノコを見つけた」のみ。
 
大山版「帰ってきたドラえもん」(1981年1/3)は当時「コロコロコミック」の「ドラえもんの原作漫画とテレビアニメの比較」という企画ページの中で紹介されていたと思う。
 
「帰ってきたドラえもん」が1998年に短編で映画化された際、最後に「ジャイアンが謝る場面」が追加されていたらしいが、この90年代末の映画版は全く見てないし、個人的にそういう場面は不要だと思う。
 
テレ朝で「ドラえもん」がアニメ化されて36年。
 
1974年に「さようなら、ドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」を学年誌で読んだのは1964年度生まれの人だろう。この世代が小学校卒業直前に読んだドラえもんは77年の「りっぱなパパになるぞ!」だろう。
 
ドラえもんの「未来の国からはるばると」の元はおそらく「世界の国からこんにちは」で、「帰ってきたドラえもん」の前に「帰ってきたウルトラマン」、その前に「帰って来たヨッパライ」があった。「巨人の星」でも「帰ってきたオズマ」があった(tw)。
 
「STAND BY MEドラえもん」の時代設定は1970年代半ばらしい。山崎貴と八木竜一両監督は1964年度生まれで温水洋一と同学年であり、小3から小4に上がった時に学年誌で「帰ってきたドラえもん」を読んだ世代だろう。この時期に小4から小5に上がったのは1963年度生まれ(tw)。「STAND BY MEドラえもん」の監督2名は1964年生まれで、1974年春に「帰ってきたドラえもん」が学年雑誌に掲載された時は小学生で、1981年に「帰ってきたドラえもん」がテレ朝でアニメ化された時は高校生だったはず。そう考えると納得できる(tw)。1974年の「さようなら、ドラえもん」と「帰ってきたドラえもん」、及び1977年の「りっぱなパパになるぞ!」に登場したのび太は6代目、1964年8月7日生まれ。温水洋一は1964年6月生まれで6代目のび太と同学年(tw)。
 
「STAND BY MEドラえもん」の中の「帰ってきたドラえもん」はおおよそ原作通り、それも雑誌掲載当時に近く、余計な場面がほとんど追加されていなかった。そこがよかった(tw)。「帰ってきたドラえもん」でのび太は「あいつらゆるせない。ドラえもんが帰ったなんて。ぼくにとっては、いちばんざんこくなうそだ。ゆるせない!!」と言っていたが、この嘘をついたのはジャイアンだけであり、スネ夫がついた嘘は「ツチノコをみつけたんだ」である(tw)。
 
「帰ってきたドラえもん」でジャイアンがついた嘘は「ドラえもんが帰ってきた」で、スネ夫の嘘は「ツチノコ見つけた」。彼らの日頃のキャラクターならこの程度はいつものこと。しかし結果的に本当にドラえもんが戻ってきて、スネ夫でなくジャイアンがツチノコを見つけた(tw)。「帰ってきたドラえもん」でジャイアンとスネ夫がのび太についたウソはいつもの彼らであれば想像できることで、スネ夫はイヌに追いかけられて、ジャイアンは母親に連行されていたが、あの2人が泣いて反省する場面は原作にない(tw)。
 
Twitterでドラえもんのリメイクについて「想い出が壊される」などと言って嘆く人が多いがその人たちの言う「想い出」もリメイクである場合が多い。例えば「帰ってきたドラえもん」「のび太の結婚前夜」「おばあちゃんのおもいで」など20世紀末の短編映画でのリメイク版を覚えている世代が多い(tw)。
 
「帰ってきたドラえもん」で、のび太がウソ800を飲んだ後、ジャイアンとスネ夫に対し「ぼくがいい天気といえば雨がふる。雨といえば晴れる」と言って薬の効果を説明していたが、普通に考えると、のび太がこれを言った時点で薬の効き目はなくなるはず。その後、薬の効き目が続いていたのはおかしい(tw)。「帰ってきたドラえもん」(1974『小四』4月号)でのび太が「ドラえもんが帰ったなんて。ぼくにとっては、いちばんざんこくなうそだ」と言った場面も初期の雑誌では見たことがなく単行本で追加されていたような気がする。1964年度生まれ用の大全集で確認したい(tw)。「帰ってきたドラえもん」でのび太がウソ800を飲んだ後、ジャイアンとスネ夫に対し「ぼくがいい天気といえば雨がふる。雨といえば晴れる」と言って薬の効果を説明する場面も後で追加されたものだと思う(tw)。
「STAND BY MEドラえもん」では7巻収録版「帰ってきたドラえもん」の「ウソ800を飲んだのび太がジャイアンとスネ夫に対し『自分の言った事はウソになる』という説明をしてしまった場面」は省かれていた。これは脚本家の英断である(tw)。
 
「帰ってきたドラえもん」で1998年の映画を思い出す人はまだ子供。ベテランのドラえもんファンは41年前の1974年の原作漫画か1981年当時の最初のアニメ版を思い出すはずだ。
 
ドラえもん声優交代から10年。「昔のドラえもんを知らない世代が増えてゆく」と嘆いている人自体が「昔のドラえもん」を知らないだろうな。またそう嘆く人は声優交代以降のドラえもんをきちんと見てるのかどうか。
 
@kyojitsurekishi 「キョン」で「こまわり君」を思い出すと古いと思われそうだが「がきデカ」の連載は1974~80年。「ドカベン」の明訓高校編は高1春が1974年からで高2春が1981年まで。ドラえもんの「帰ってきたドラえもん」の原作は1974年、アニメ化は1981年
posted at 12:14:01
 
@kyojitsurekishi 1971~74年の「ジャイアンツ」や1974~81年の「がきデカ」は「古い」と思われるのに、1974年の「帰ってきたドラえもん」や1975年または1980年の「のび太の恐竜」の話は「古い」と思われないのか?誠に奇妙だ。
9月18日19:02
posted at 19:03:02
 
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