2月1日放送「」。
幕末の志士は国家に対して責任感が強すぎて身近な人には無責任で大迷惑という話。後藤健二氏は仲間に対して責任感が強かったが兄から見ればその行動は軽率で、妻と幼い子供を残して世を去った意味では無責任であった。

「花燃ゆ」で「ボタオ」と言われたのは「ボタン」だった。英語ではbuttonだが、直接的には「ボタン」はポルトガル語のbotãoからであろう。劇中の台詞ではほとんど「ボタン」に聞こえた。これは当然である。外は雪。

日本語で「ボタンをはめる」「ボタンはどこだ」と言うような場合の「ボタン」は「ボタオ」botaoに近く、しかも語尾が鼻母音になるからポルトガル語のbotãoに近いだろう。

日本語の場合、「ボタンの」のハツオンはbotan-noになり、「ボタンが」はbotang-gaになり、
「ボタンも」はbotam-moになる。

」は1853年ペリーの黒船来航、1854年の日米和親条約から1855年の金子重之輔獄死まで話が進んだ。1854年に糸井貢が殉職し、中村主水が横浜での日米会談の護衛の一人に選ばれた直後だったと思うと感慨深いものがある。

1855年に金子重之輔が獄死。1855年には遠山金四郎景元も他界。1855年末(陽暦1856年初め)、坂本龍馬の父・坂本八平が没し、千葉周作も同時期に他界。篤姫は1853年から薩摩藩の江戸藩邸にいて、1856年に家定の正室になった。

江戸時代には京都御所の再建が8回行われ、江戸幕府成立後は
1613年、1642年、1655年、1662年、1675年、1709年、1790年の次が1855年だったらしい。
必殺SP「仕事人京都へ行く」の京都御所改修工事は1790年または1855年か?


前後一覧
2015年2月

関連語句
花燃ゆ(タイトル検索) 花燃ゆ[1] [2](内容検索)
花燃ゆ 黒船(twitter) 

参照