茨城・水戸の観光や京都の撮影所の関係者であれ、時代劇評論家であれ、「水戸黄門」の終了を嘆く人や、終わらせたスタッフ・出演者を批判する人は、「水戸黄門は永遠に続くべきだ」という神話を前提とした「幻想」または「既得権益」にしがみついていただけだろう。
17:50 - 2014年12月7日:Twitterで表示された日時
 
「水戸黄門」終了は「必然」だったが、もしそうでなければ「もっと続くはずが何かの間違いで終わってしまった」のか。では、その「間違い」を犯した「戦犯」は逸見稔なのか、中尾幸男(あるいは石坂浩二と里見浩太朗)なのか。その辺が総括されていない。
 
 
 
 
 
 

#科捜研の女 内藤剛志は風車の弥七も演じていたが、「水戸黄門」の証拠入手方法は弥七やお銀・お娟といった忍者による窃盗や家宅侵入によるものが多く、あるいは悪人の親玉が否認すると決め手は手下の自白。近代国家では裁判として成立せず、冤罪を生むだけだ。

午後3:10 · 2014年12月8日

 

 

時代劇の水戸黄門が宿場から去る時、若い男女に結婚や子作りを催促するたびに余計なお節介に思えた。老公が日本各地の家族や師弟の喧嘩の仲裁をする話が多く、フィクションとはいえあんな漫遊は公費の無駄遣い。その意味でシリーズ終了はよかった。

/午後11:57 · 2014年12月13日/

 

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〔2014年(平成26年)12月4日~16日

 

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水戸黄門〕〔内藤剛志

 

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