茨城・水戸の観光や京都の撮影所の関係者であれ、時代劇評論家であれ、「水戸黄門」の終了を嘆く人や、終わらせたスタッフ・出演者を批判する人は、「水戸黄門は永遠に続くべきだ」という神話を前提とした「幻想」または「既得権益」にしがみついていただけだろう。
「水戸黄門」終了は「必然」だったが、もしそうでなければ「もっと続くはずが何かの間違いで終わってしまった」のか。では、その「間違い」を犯した「戦犯」は逸見稔なのか、中尾幸男(あるいは石坂浩二と里見浩太朗)なのか。その辺が総括されていない。
つまり逸見稔が「水戸黄門」を年寄り向けにしたのが「水戸黄門」終了の元凶なのか、逆に逸見路線が続けばよかったのに逸見没後に中尾チーフや石坂浩二らが新しい(若い)層を獲得しようと作品をいじったのが「終了」の原因なのか…という問題がある。
「石坂浩二と里見浩太朗の起用が水戸黄門を終わらせた」という批判があるが、あの両者を合わせても10年続いたわけで、石坂・里見の登板がなければ「水戸黄門」が2012年以降も続いたという証しはない。逆に20世紀の佐野黄門の時点で終わっていた可能性もある。
春日太一氏は「水戸黄門」終了に関して、高齢の視聴者がパナソニックの顧客層と合わなかったという流れでは「よくぞここまで持ちこたえた」としながら、ミスキャストや撮影現場に関する話の中では、これが「産業としての時代劇」に「悪影響を与えた」としている。
春日太一氏は「なぜ時代劇は滅びるのか」で、時代劇がテレビの連続枠でマンネリ化したことを「高齢者向けになった」「マンネリでつまらないという偏見を生んだ」と批判しながら、若手育成にはその枠が必要だとして民放時代劇のスペシャル枠への移行をも批判している。
春日太一の論をまとめると、日本の時代劇産業は、若者層を狙う大手スポンサーが年寄り向けに慈善事業で巨額の投資をすることで支えられていたわけで、大手企業が利益を度外視し、赤字覚悟で時代劇撮影所の人材育成までをも面倒見ていた…その時代が終わっただけの話。
#科捜研の女 内藤剛志は風車の弥七も演じていたが、「水戸黄門」の証拠入手方法は弥七やお銀・お娟といった忍者による窃盗や家宅侵入によるものが多く、あるいは悪人の親玉が否認すると決め手は手下の自白。近代国家では裁判として成立せず、冤罪を生むだけだ。
〔午後3:10 · 2014年12月8日〕
水戸黄門は年寄り向けだと「古い」と言われ、若者向けを狙うと「旧ファン斬り捨てだ」と言われ、終了したら「時代劇文化、人材育成はどうなる」と批判されるが、批判する側が水戸黄門に依存していただけの話。
時代劇の水戸黄門が宿場から去る時、若い男女に結婚や子作りを催促するたびに余計なお節介に思えた。老公が日本各地の家族や師弟の喧嘩の仲裁をする話が多く、フィクションとはいえあんな漫遊は公費の無駄遣い。その意味でシリーズ終了はよかった。
/午後11:57 · 2014年12月13日/