菅原清和氏の「昭和40年男の梶原一騎論」で『巨人の星』の解説の2日目。
 
 
椿林太郎(「黒い秘密兵器」)が去って星飛雄馬が入るまでの「空白」期間でも、川上巨人は優勝できた。その後、番場蛮が殉職し、飛雄馬が復帰するまでの間、巨人は優勝を逃して最下位に転落していた。飛雄馬復帰の年、長嶋巨人は日本一こそ逃したが、セ・リーグ優勝に返り咲いた。
 
左投手時代の星飛雄馬は放っておいても強い巨人に入って明星になるのが目標で、それで球団内では浮いていた。初めから巨人を中から倒す気で入った番場蛮は、V9末期の巨人の王座が揺らぐのを食い止めるため奮闘し、チームのために玉砕。右投手の飛雄馬は巨人を最下位から救うために復帰した。
の昭和89年(平成26年)10月号の「梶原一騎論」で「巨人の星」の解説(2回目)がある。飛雄馬は少年期、何度も一徹に殴られることで洗脳され、プロ入り後、一徹が敵に回っても一徹の教えを優先し、川上監督の命令に逆らうようになっていた。
 
星一徹の行動原理は「自分を追放した巨人への復讐」だったのだろう。一徹が息子・飛雄馬を巨人に入団させながら、自らは巨人のコーチにならず中日のコーチとなって巨人と闘ったのも当然だ。
』2014年(平成26年、昭和89年)10月号
 
vol.27では星一徹の名言が3つ取り上げられており、1は文庫5巻「左門の予告ホームラン」、2は文庫6巻「血まみれのバット」(「男の一念」の直前)、3は文庫8巻「不死鳥」からである。
 
2014年09月17日(水)
@kyojitsurekishi 「#昭和40年男」で足立謙二氏が仮面ライダーの敵・蜘蛛男について解説。場合によってはこの蜘蛛男が仮面ライダーに代わってショッカーに反旗を翻す存在になったかも知れないとの分析。海の向こうではスパイダーマンの例もある(シナ語では「蜘蛛侠」)。
posted at 16:44:43
 
ショッカーライダーは言わば「怪人バッタ男」である。「真・仮面ライダー」はまさに怪人だ。
posted at 16:47:37
 
@kyojitsurekishi 「巨人の星」の星飛雄馬も何度かあった「成長」の節目で一徹に殴られることで洗脳され、プロ入り後、一徹が敵に回っても、過去の一徹の教えを優先し、川上監督の命令に逆らうようになっていた。昭和40年男 2014年10月号76ページの「梶原一騎論」参照。
posted at 08:03:06
 
2014年10月号では昭和62年(1987年)当時の流行が紹介され、マイケルジャクソンの特集記事がある。85年にWe Are The World、86年にチェルノブイリの事故があった。荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」は1986年。
 
@kyojitsurekishi」で昭和62年当時の音楽が取り上げられていた。
雑誌ではTMネットワークの「Get Wild」と小比類巻かほるの「Hold On Me」が紹介されていたが、小比類巻かほるは「City Hunter」のOPも歌っている。
posted at 03:18:46
posted at 21:42:59
 
@kajiwara_bot 「巨人の星」文庫6巻、222頁「飛雄馬対花形の死闘」。
そのよんの×→そのへんの
昭和40年男』2014年10月号 - Yahoo!ブログ
posted at 06:03:06
 
@s40otoko もう1年経ちました。#昭和40年男 2013年10月号(「俺たちをワクワクさせたデザイン」) 
 @amazonJPさんから
posted at 22:18:15
 
タイガーマスクが表紙の雑誌 でショッカーライダーに関する特集があります。ショッカーにとってショッカーライダーこそ本来、作りたかった仮面ライダーであり、「偽ライダー」とされるのはゲルショッカーやショッカーライダーにとって心外ではないか…とのことです。
 

〔空想科学研究所

へえ~。買ってみようかな。『漫画読本』で取り上げていた『プロレススーパースター列伝』も特集されているようですし…。

午前0:06 · 2016年1月27日·ついっぷる〕

 

 
#昭和60年代の懐メロ〕(昭和60年代は西暦1985年1月1日から1989年1月7日秒まで、4年と1週間)
 
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平成26年(2014年)9月17日前後(Y!Blog)
 
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