「鉄五郎のバラード」によると昭和13(1938)年夏、岩田鉄五郎の帝京中学時代に主審は「いいタマ!打者ダメ!これにて試合完了」と言っていた。当時日中戦争(1937~)は始まっていたが第2次大戦(1939~)と真珠湾攻撃(1941)はまだだった。
 
「コンピュータ審判」では岩田鉄五郎の職業野球入り初勝利の時、審判として新人だった秀吉が「いいタマ、打者ダメー」と言っていた。「よれよれ18番」によると鉄五郎のプロ入りは1946(昭和21)年。終戦翌年ではまだストライクは「いいタマ」だったか。
 
『巨人の星』での川上哲治の台詞によれば星一徹が巨人に入団した昭和17(1942)年はストライクが「よし」、ボール(悪球)が「だめ」と言い換えられた日本プロ野球の暗黒時代だったらしい。日本では真珠湾攻撃の翌年にもう「敵性語」が禁止されていたのだろうか
 
ところで大東亜・太平洋戦争の時、ドイツとイタリアは日本の同盟国だったが、独語とイタリア語から入った外来語は問題なかったんだろうか。中国は日本の戦争相手だったが漢語語彙は排除されるどころが逆で日本の戦争遂行の時代に盛んに使われたようだ。
 
@kenta12300000 1940年の東京オリンピックは中止になって、実際は1964年開催だったでしょう。
posted at 19:59:58
 
1941年を元号の「昭和16年」で覚えている人がまだ多いだろうか。2013年(平成25年)は昭和88年だから昭和16年は72年前。日中戦争は1937年(昭和12年)からで、第二次世界大戦は1939(昭和14年)年から。
 
1941年12月8日は真珠湾攻撃の日。「はだしのゲン」の作者・中沢啓治は1939年生まれで、真珠湾攻撃の年、2歳だった。「終戦」当時6歳の小学1年生。「ゲン」では戦争の結果の悲惨さの描写は真に迫っているが、戦争の原因については認識が浅い。