【解説】朝日新聞は8月4日にも「天声人語」で『水戸黄門』について短く触れている。
こちらの8月8日付の特集記事では『水戸黄門』に関する年表が5人の光圀役の写真とともに掲載されてあった。
1969年の第1部から風車の弥七(演:中谷一郎)が参加していることは年表では書かれていない。
1970年にうっかり八兵衛(演:高橋元太郎)が参加したことは書かれてある。
2007年に風車の弥七(演:内藤剛志)が登場したことは書かれていない。
また、2009年にちゃっかり八兵衛(演:2代目林家三平)が登場したことも書かれておらず、2009年のところには「由美かおるの入浴シーン200回目」とある。
記事では「物語は端然としたマンネリズムに支えられてきた。現代劇では駄作と評されるような『先が読める』展開こそが水戸黄門の最大の売りだったと言える」とある。
それでいて『半沢直樹』や『ドクターX』が高視聴率を記録すると「現代版時代劇」「現代版水戸黄門」などと評するのが今のメディアの認識の限界と矛盾である。マンネリの単純なドラマ自体にまだ需要があるなら、「本家」の『水戸黄門』はなぜ低視聴率で一度、終わったのか。変わったのは世の中でなく作品ではないか。マスコミはそこまで考えていないのだろう。むしろ、人々の考える「水戸黄門らしさ」が受け入れられなくなったのでなく、『水戸黄門』が「水戸黄門らしさ」を失った(と世間に受け止められた)のではないか。
ナショナル劇場の変化に言及した評論をしたのは春日太一氏くらいだった。
 
一方、7月8日付の毎日新聞夕刊にあった記事を電子版で観たところでは、第43部で一部の話の脚本を担当している黒土三男氏は「予定調和の絵空事だと若者がウソっぽいと感じ、見なくなる」として「もっと人間を書こうよ」というコンセプトで脚本を請け負ったらしい。
すると大河ドラマなど「史実」どおりに描くと先が見えてつまらなくなる。
いくら戦国の姫たちが戦や自害を否定し、政略結婚を拒否しても、話は実際の戦や政略結婚などを描いて進むわけで、歴史上の権力者やその縁者を主人公にした時代劇の「新鮮さ」には限りがある。
時代劇は「先が読めても面白い」はずだったのだが、現代人はその感覚を持たなくなり、現代ドラマを観る間隔で時代劇を観るようになったのだろう。
ところで『水戸黄門』の終了を「打ち切り」と呼んでいいか疑問に思えてきた。
└→『水戸黄門』終了は「打ち切り」か?
 
第43部
第2話:『人情長屋で待つ女』/品川(2011年7月11日 放送)
7月15日『水戸黄門』終了報道
第20話:『裏切り者は誰だ!?』/日光(2011年12月5日 放送)
最終回スペシャル(2011年12月19日 放送)
 
 

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2013年9/8 9/4~9/9
 
関連語句
水戸黄門 [1][10] … [20] … [22] 
水戸黄門 [1] [2] [3] [4](ものがたりの歴史III)
水戸黄門 [1][43](T-CupBlog)


参照