水戸黄門が終わった時、ある日突然、何か大きな力を持った存在が現れて、一気に自分たちを助けてくれる物語が終わったんだなぁと思った。自分達で頑張る時代になったんだね。
〔Ryo-Yong@yong18cureさん〕
水戸黄門の最終回・・・どんなふうに終わったのか 忘れちゃった(^^;;;;
@yong18cure 水戸黄門最終回SPでは老公が上州での事件を解決した後、助・格を連れて鎌倉を目指して旅立った所で終わったようです。
『水戸黄門』ついに最終回…最後の旅は鎌倉へ^^ - お家で鎌倉 - Yahoo!ブログ
@nuriedapon 「水戸黄門」終了の理由は2年前にさんざん報道されていますので2011年7月15日以降の新聞の縮刷版をご覧ください。平成不況の中、時代劇はTVの単発2時間SPや映画に移行しているのに、「水戸黄門」だけTVの連続1時間枠にしがみついていたのがそもそも異常でした。
もし水戸黄門が早いうちに連続枠から撤退して年数回の2時間スペシャル枠に移行し、撮影所を関西の京都から関東の水戸や日光や東京や鎌倉などに移していたら、シリーズはまだ存続していたかも知れない。
「水戸黄門漫遊記」はもともと講談であり、明治~大正~昭和の時代に映画化され、月形龍之介が映画で光圀を演じたのは有名だろう。東野英治郎以降の「水戸黄門」はテレビの時代に適応して人気を集め、西村晃に受け継がれ、平成の時代を迎えた。
現代劇『半沢直樹』が人気で、時代劇もNHKのBSでC.A.Lの『大岡越前』がリメイクされ、『だましゑ歌麿』も3シリーズ放映された。映画界では『許されざる者』が公開されている。『真田十勇士』の舞台もある。
『水戸黄門漫遊記』はもともと講談であり、『忠臣蔵』は歌舞伎だ。
電気紙芝居が時代劇を映画から取り込んだ時代が半世紀で終わり、時代劇が舞台と映画に回帰したようである。
映像化作品としての『水戸黄門』は月形龍之介までは映画で、月形黄門時代に映画からテレビに移行し、東野英治郎以降はテレビの1時間枠の連続時代劇として続いた。ナショナル劇場の水戸黄門はそのテレビの1時間連続時代劇に適応し、45分で印籠が出て終わるパターンを繰り返して、お茶の間の人気を博してきた。
必殺シリーズも1時間の連続枠のテレビ時代劇として続き、次第にパターン化して人気が上昇した。
1979年、東野黄門の視聴率がピークに達した時に『必殺仕事人』が始まり、東野英治郎が降板して西村晃が起用された時に『仕事人III』で必殺の人気がピークに達した。
だが、必殺シリーズの場合、パターン化がピークに達した時点で、藤田まことの都合などにより連続枠から離れ、年に数回の2時間スペシャル枠に移行し、既にシリーズ化されていた映画とテレビスペシャルの体制になっていた。
『水戸黄門』はお銀、飛猿などを加え、人気を維持したものの、1時間枠に残り続けた。
『水戸黄門』はお銀、飛猿などを加え、人気を維持したものの、1時間枠に残り続けた。
1996年、映画『必殺!主水死す』が公開された時に、個人視聴率が判明して、テレビの民放各局が連続時代劇枠から撤退し始めた。
『水戸黄門』は「45分で印籠」のように1時間のマンネリによって筋のパターンが形作られ、テレビ時代に人気を集めた時代劇だった。
21世紀に入って里見黄門時代にしばしば『水戸黄門』で2時間、3時間スペシャルが作られた。視聴者が高齢者なため前後編が作りづらくなったこともあり、各シリーズの最初や最後が2時間だったこともあるし、放送1000回などの節目でもスペシャル版が作られた。しかしメインは1時間枠で、2時間以上のストーリーで視聴者を確保できるようになる前に終了した。
必殺シリーズの場合、初期のスペシャルでは1981年の『恐怖の大仕事』や82年の『仕事人大集合』のように本編のパターンを崩したサービス的な異色の作品が多かったが、90年の『オール江戸警察』辺りまでには1時間枠の話を2時間に延ばしたような形になって、単発スペシャルが1時間連続枠の代わりを果たすようになっていた。
『水戸黄門』は21世紀に入っても2時間以上のスペシャルはあくまで1時間枠の間のサービスであり、1時間連続枠の視聴者が去るにつれてシリーズも終わっていった。
2011年の『水戸黄門』終了後も必殺は『必殺仕事人2012』『必殺仕事人2013』という形で年に一度のスペシャルで存続している。『水戸黄門』は2013年春に舞台で復活した。
もし、2002年の里見黄門のスタート段階で、『水戸黄門』が単発スペシャルだけの時代劇に移行していたら、『水戸黄門』の終了はもう少し後になっていたかも知れない。
2011年7月17日付、産経新聞の記事「若返り、秘話披露も…『水戸黄門』低迷 時代の変化“紋所”の威光陰り」で「黄門一行が旅先で出くわした悪人を懲らしめる勧善懲悪の物語と、『助さん」『格さん」『うっかり八兵衛』や、由美かおるさん(60)演じる女忍者らのキャラクターがうけ、1979年2月には平均視聴率43.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という最高視聴率を記録したが、近年は視聴率が低迷」(年齢は当時)とあるが、由美かおるが女忍者「かげろうお銀」としてレギュラー出演したのは1986年の第16部以降である。1979年当時は宮園純子扮するお新(弥七の妻)と山口いづみ扮する志乃(助三郎の妻)が交代で光圀一行(助・格・弥七・八)をサポートしていた。
また、同記事で「昨年(2010年)⒑月から今年(2011年)3月まで放映した第42部からは助さんと格さんを若返らせるなどの刷新を図り、視聴者から好評を得ていたが、時代の趨勢(すうせい)には勝てなかったようだ」とあるが、第42部で助格の役者は若返っていない。第41部までで助格を演じた原田龍二と合田雅吏は1970年生まれで、第42部以降で助格を演じた東幹久と的場浩司は1969年生まれで、1歳年上の役者が選ばれている。
『水戸黄門』について記事を書いていた記者もろくに見ていなかったようだ。
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