1978年の6月25日、サザンオールスターズは「勝手にシンドバッド」でデビュー。
1986年と87年に休止し、1988年に10周年で復活した。
桑田佳祐は1956年2月26日生まれで、1955年度生まれ、昭和30年男である。
関口和之(1955年12月21日~)は同学年。
原由子(1956年12月11日~)と松田弘(1956年4月4日~)は1年後輩。
脱退した大森 隆志(1956年12月12日~)は原、松田と同学年。
10周年の時、確か原由子(1956年12月11日~)がTBSでの三宅裕司との対談で「60歳くらいになってもサザンやってたら格好いいですよね」と言っていたが、あと3年でサザンのメンバーは還暦を迎えるだろう。
桑田佳祐と明石家さんま、田中裕子、千代の富士、江川卓、三波豊和も同学年らしい。
もともと桑田佳祐は前川清のマネが得意で「メリークリスマスショー」などで披露された。
桑田佳祐の姉・岩本えり子がビートルズのファンで、桑田家にはビートルズのレコードが揃っていたらしい。
桑田佳祐は青山学院大学に入ると、音楽サークル「ベターデイズ」に参加。
桑田佳祐の参加していたバンドは「青学ドミノス」だったこともあるようだが、「温泉あんまももひきバンド」「ピストン桑田とシリンダーズ」「ピストン桑田(or桑田佳祐?)と脳卒中」「桑田佳祐とヒッチコック劇場」などとバンド名を変え、原由子の参加を期に友人Mに頼んでバンド名を新たに考えてもらい「桑田佳祐とサザンオールスターズ」となったらしい。
「ヤマハEast West '77」にサザンが参加し、桑田佳祐がベストボーカル賞を受賞。
キャンディーズが解散し、『ザ・ベストテン』が始まった1978年にサザンがデビュー。
バンドでは世良公則&ツイスト、ゴダイゴも活躍していた。
1979年
「いとしのエリー」等
1980年
「涙のアベニュー」(FIVE ROCK SHOW)等
建前として「休業中」で、実はTV出演を控えただけで、レコーディング、映画音楽に集中。
1981年
「栞のテーマ」等
『ステレオ太陽族』
1982年
「チャコの海岸物語」等
『NUDE MAN』(「チャコ」は収録されていない)
1983年
「EMANON」等
『綺麗』(高田みづえが「そんなヒロシに騙されて」をカバー)
1984年
「ミス・ブランニュー・デイ」等
『人気者で行こう』
1985年
「Bye Bye My Love」等
『カマクラ』
1985年は1185年に鎌倉幕府が成立してから800年後であった。
1192年に源頼朝が征夷大将軍になってから800年後は1992年でサザンは北京でコンサートを開いた。
1986年(ソロ活動)
「BAN BAN BAN」(Kuwata Band)等
『Nippon No Rock Band』(Kuwata Band)等
1987年(ソロ活動)
「悲しい気持ち」(桑田佳祐ソロ)等
『バラッド2 '83~'86』
1988年(デビュー10周年、復活祭)
「みんなのうた」
『Keisuke Kuwata』(桑田佳祐ソロ)
1989年
「さよならベイビー」等
『すいか』
1990年
1991年
『MOTHER』(原由子ソロ、「花咲く旅路」を陳慧嫻が「飄雪」というタイトルで、高勝美が「蝶兒蝶兒滿天飛」というタイトルでカバー)
1992年
「シュラバ★ラ★バンバ」「涙のキッス」
以下略
1992年にサザンが北京でコンサートを開いた時、「勝手にシンドバッド」の「勝手に」は「任意的」と譯された。
1992年における南天群星のコンサートは1972年の日中国交正常化20年を記念したイベントだった。
桑田佳祐は歌作りにおいて♪You gotta hold on meと歌って「夕方Hold On Me」とするように「空耳アワー」の空耳の方を歌詞カードに記入したような作詞法を使っている。
@tostana ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」は飲酒運転幇助の歌で、今ではTVで流しにくいかも知れません。桑田佳祐も東日本大震災以降は「TSUNAMI」を自粛しているようです。
posted at 10:36:44
「tsunami 波乗りジョニー」の検索結果 - Yahoo!検索(リアルタイム)
前後一覧
関連語句
参照