平成24年tw

今やってるアド街で知ったんだけど、鎌倉時代は1192年ではなく、1185年に始まったらしい。いい箱作ろう鎌倉幕府と覚えよう…って、義務教育で教えた歴史が変わったのなら責任もって教えてくれ(笑)

/午後9:20 · 2012年4月7日/

 

平成25年tw

710年から奈良時代で、794年から平安時代という区分も妙なもので、奈良時代の後は784年の長岡京への遷都から「京都時代」と呼んでいいもので、794年の平安京遷都から平安時代と呼ぶならその前は「平城時代」と呼ぶべきだろう。
  
@kyojitsurekishi 平安時代の始まりは794年で「ナクヨうぐいす」という語呂合わせで知られるが、もし784年から794年までの長岡京時代を追加して「京都時代」と呼べば、始まりは784年になる。すると「ナクヨ」という語呂合わせは通用しなくなる。
posted at 13:30:11
 
@kyojitsurekishi また784年の長岡京への遷都から1868年の江戸開城・明治維新まで天皇はもっぱら京都にいたわけで、1185年から1868年までの鎌倉・室町・安土・桃山・江戸などは政治の実験が武家に移っていた時代の政治の中心地による時代区分である。
posted at 13:36:28
 
@kyojitsurekishi 天皇がどこにいたかという見方では784年から1868年までが「京都時代」で、1869年東京奠都以降が「東京時代」になる。実際は1868年以降は明治・大正・昭和・平成といった天皇の名前で区分されている。
posted at 13:39:57
 
@kyojitsurekishi 奈良時代が始まったのは710年であるが、終わったのはいつか。784年までとしている年表もある。平安時代は794年からである。
posted at 01:27:46 1:27 - 2013年5月28日
 
@Rwsauraku あらゆる時代区分は「斜線」かも知れません。平安時代の始まりは794年とされますが奈良時代の終わりは794年でなく784年とされることもあります。
Twitterkyojitsurekishi 虚実歴史研究家 - 12時間前
 
@28no28tori 学校で教わる時代区分などにとらわれない方がいいでしょう。奈良時代(710~)→平安時代(794~)というのもおかしいわけで、奈良時代784年までで、その次は京都時代でしょう。逆に平安時代の前は長岡京時代でその前が平城時代…と考える必要があります。
Twitterkyojitsurekishi 虚実歴史研究家 - 6月29日 5時21分
 
@onene @KUNInaka001 @allpaqasan 794年は平安時代が始まった年でしょうが奈良時代が終わったのは794年とは限りません。奈良時代を710年から784年までとしている年表もあります。784年から10年間は何時代か…というのを考えるのも歴史の勉強でしょう。
Twitterkyojitsurekishi 虚実歴史研究家 - 1日前
 
Wikipediaで「奈良時代」を見ると「平城時代」とも言われるらしい。これは納得。「平安時代」の前は「長岡京時代(784~794)」でその前は「平城時代(710~784)」だ。
Twitterkyojitsurekishi 虚実歴史研究家 - 1日前
 
厳密に言えば「鎌倉幕府はなかった」というのが実情で、「鎌倉幕府」は後で付けた名称ということになり、これは井沢元彦氏も「逆説の日本史」で言及しています。
 
@yamabememo NHK大河ドラマの場合、戦国織田豊臣ものは江戸幕府の2代将軍秀忠の時代の大坂夏の陣豊臣が滅んだ時まで描かれ、幕末明治ものは大政奉還から10年経過した西南戦争で西郷隆盛が自害した時まで描かれるのが普通です。対抗勢力の滅亡が時代の区切りということでしょう。
Twitterkyojitsurekishi 虚実歴史研究家 - 12時間前  
 
@kyojitsurekishi 江戸幕府の始まりを描いた時代劇では、1603年に家康が将軍になった時の話は通過点で、1600年の関ヶ原の合戦化1615年の大坂夏の陣の方が時代の区切として細かく描かれる(それでも「おんな太閤記」以降、戦闘シーンが割愛されることが多いようだが)。
Twitterkyojitsurekishi 虚実歴史研究家 - 12時間前
 
明治時代の前は慶応時代とは言われない(慶応年間とは言われる)。日本の近代は便宜上、明治時代、大正時代、昭和、平成という元号で区切られるが、一方で明治元年~昭和20年の「戦前」と昭和21年から平成までの「戦後」の区切りの方が歴史的には重視される。

詳細 詳細 

  
虚実歴史研究家 @kyojitsurekishi 8分
聖徳太子の名前と鎌倉幕府の始まりについては小林よしのりが「天皇論」で言及し、最近の新説を批判している。
 
小林よしのりは今の歴史教育で源頼朝が征夷大将軍になった1192年を無意味化する動きを天皇の影響を歴史から排除しようとする勢力の運動だろうと批判。一部推測もあるだろうが、「1185年だと語呂合わせが大変」という意見より、こちらの方が遥かにまともだ。
 
鎌倉幕府成立が1192年から1185年になったという「情報」を受けてただ驚いている人が多いが、それを見ると、以前「ゴー宣」で橋爪大三郎が言っていた「知識」と「情報」の話を思い出した。「情報」は置き換え可能だから「情報脳」の人は簡単に洗脳される。 
 
ただ、鎌倉幕府成立が1192年から1185年になっても、それだけでは天皇の影響を排除する影響は余りないと思う。むしろ聖徳太子や大化の改新、古墳に関することの方に注意すべきであろう。
 

「鎌倉幕府成立は1192年ではなく1185年」という「情報」を受けてただ驚いている人が多いが、これは橋爪大三郎が言っていたらしい「知識」と「情報」の違い。受け身の「情報」は置き換え可能だから「情報脳」の人は簡単に洗脳される。

/午後5:35 · 2013年6月25日/

 
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2012-04-11 14:34:00
 
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