1本のパンを盗んだことをきっかけに、結果として19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯を描く作品である。作品中ではナポレオン1世没落直後の1815年(文化12年)から、ルイ18世・シャルル10世の復古王政時代を経て、七月革命後のルイ・フィリップ王の七月王政時代の最中の1833年(天保4年)までの18年間を描いており、さらに随所でフランス革命(寛政元年~)、ナポレオンの第一帝政時代(文化元年~文化12年)と百日天下(文化12年)、七月革命とその後勃発した六月暴動(天保3年)の回想・記憶が挿入される。当時のフランスを取り巻く社会情勢や民衆の生活も、物語の背景として詳しく記載されている。
日本では初め、森田思軒が一部を「哀史」の題名で訳したが完訳には至らず、黒岩涙香による翻案が『噫無情』(ああむじょう)の題で1902年(明治35年)10月8日から1903年(明治36年)8月22日まで『萬朝報』に連載され、これによってユーゴーの名が広く知れわたることになった。
また「銀の燭台」のエピソードのみに編集され、小学生向けに道徳の教科書に掲載されたり、児童向けの書籍があったりする。
光绪二十九年(1903年),苏曼殊翻译了雨果的《悲惨世界》,题名《惨社会》,1903年10月8日连载于《国民日日报》,署名“法国大文豪嚣俄(雨果)著,中国苏子谷译。”,至12月1日,因报馆被封停刊,前后11回。次年改由上海镜今书局出版单行本时增加至14回,署名“苏子谷、陈由己(陈独秀)同译”。此书未忠于原著,自第7回起,更杜撰情节,篡改处极多,文中竟然出现孔子和小脚,表现出对清朝政府强烈痛恨。陈独秀续译12至14回。
李丹、方于夫妇从1929年译成第一册后,以《可怜的人》之名收录于商务印书馆《万有文库》,却因战乱,直至1958年至1984年才重新完整翻译《悲惨世界》五卷,这是中国第一套《悲惨世界》全译本,由人民文学出版社出版(第一卷,1958年;第二卷,1959年;第三、四卷,1980年;第五卷,1984年)。
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