尾崎豊は1965年11月生まれなので『金八』第2シリーズの生徒と同学年である。また1975年ごろの『ドラえもん』ののび太と同世代になる。さらに1983年度で高3なので『大甲子園』の山田世代(1982年度~85年度で高3)に相当する。

 

尾崎豊の親世代が1965年当時で25歳~30歳とすると1935年から1940年に生まれた世代になる。
尾崎豊自身は1985年で20歳になった。
尾崎豊の歌がヒットしていた1985年当時30歳~40歳だった人は1945年から1955年までに生まれた世代で団塊世代(1946~1949年生まれ)や全共闘世代(1940年代半ば生まれ)がこれに入る。

 

 

尾崎豊の「♪盗んだバイクで走りだす」や「♪夜の校舎窓ガラス壊して回った」という歌が賣れれば「10代の心を歌った歌手」「若者たちの神々」として讃美した社会が、薬物関係での逮捕では叩く側に回ったのも勝手ではある。それが尾崎の死後になると世間は彼を完全に聖人化している。
団塊世代、全共闘世代、学園紛争世代がやった内戦まがいの暴動を考えれば、尾崎豊のしたことはまだ可愛いもので、それは昨今の成人式での新成人の暴れっぷりも同様だ。

 

 

尾崎豊が亡くなったとき、葬儀(告別式か)にファンが集まり、一部メディアで写真に「さらば、教祖様」という文句がつけられたが、尾崎豊を「若者の教祖」としたのはあくまで部外者であり、ファンは尾崎を仲間とは思っても宗教の教祖にはしていなかったはずである。

 

 

1980年代半ばにバンドブームが起きたとき、当時のマスコミは何かと1970年代のGS(グループサウンズ)と比較していたが、当時、そういう過去のものと比較したがること自体、「古い世代」の悪癖だと思ったものだ。

 

 

尾崎豊が求めた「自由」は所詮は1980年代半ばの日本社会の豊かさと家庭や学校や雇用の安定を前提としており、当時の10代が家庭や学校制度を「束縛」と解釋したことによるものだ。バブル崩壊、さらに金融危機、震災で家も職場も失った人が出てくる前に尾崎はこの世を去った。今では学校からの自由以前に、待機児童が増えている世の中。尾崎豊の歌は結局は昭和末期の若者の贅澤な悩みである。
尾崎豊の求める「学校や家からの自由」は例えば60代、70代になって定年を迎えた高齢者が得る「自由」でもある。今では60代でも不良のロック歌手をやっている人は多い。尾崎豊はそうなる前に太く短い人生を終えた。

 

 

一方で流行歌は背徳性を持っている。「それが大事」にあり「♪負けないこと、投げ出さないこと」のような道徳の教科書を歌にしたような作品は珍しく、「別れても好きな人」「恋に落ちて」「愛人(日本語版)」は禁じられた恋の歌で、「帰って来たヨッパライ」は飲酒運轉の歌であり、「スーダラ節」の「♪わかっちゃいるけどやめられない」のような心境を10代に置き換えると不良ソングになる。
そうなると尾崎豊の世界はまだおとなしいほうではある。
└→尾崎豊没後19年

 

 

尾崎豊がもし存命なら今年で48歳である。
今の48歳が30歳で子供を作ったとすると、子供は18歳(下注釋)。
今の高校生は尾崎豊の歌に共感しないらしい。これも当然だろう。

 

BOTANICAL GARDENさん (@BOTANICALLABO) / Twitter

今朝の朝日新聞21面。『尾崎豊 ピンとこない』の見出しが気になった。簡単に約せば、今の10代のこどもたちは反権力思考が極端に薄いという話。周りの人間と適当にうまくやったほうがいい、と考えている。私個人からすれば、これを解説している香山リカに反発したくなるが(笑)。

午前9:42 · 2013年4月26日

 

尾崎豊について補足 - Y!ブログ
2013年4月26日付の朝日新聞で「尾崎豊 ピンとこない」という記事。今の高校生は尾崎豊に共感しないらしい。
tweet 

 

確かに高校生で学校が嫌な人は窓ガラスを割らないで退学すればいい。学校や家に帰りたくない人はバイクを盗んだりしないで、退学して、家を出て、アパートでも借りて、アルバイトして生活すればいい。

午前10:36 · 2013年4月26日

 

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2013年4/26 4月

 

関連語句
尾崎豊

注釋
子供は18歳
尾崎豊は「Scrap Alley」で19で父親になった友人を歌っているが、その場合、子供が18になると父親は37歳である。
もしこの友人が尾崎豊と同い年だったとすると、尾崎豊とタメ年の人が37歳になったのは西暦2002年、平成14年であり、「昭和77年」に相当する。

参照