『必殺からくり人』第壱話「鼠小僧に死化粧をどうぞ」
からくり人が鼠小僧(演:財津和夫)を救出するが、女と殉死してしまう。
代わりに処刑されたのは、「死のう組」の一人だった与吉(演:金井進二)で、不治の病などで余命1箇月だった男が家族を養うために大金と引き換えに鼠小僧の代わりに処刑される仕事を引き受けたらしい。
皮肉にも本物の方が替玉よりも先に絶命した。
鼠小僧の遺した覚書が鼠にかじられて紙くずと化していた。仇吉が曇りの元締に「覚書は私の手元にありますが、字が判読しづらい」と嘘を言ったのは相手をおびき出す腹だったか。
『必殺仕事人・激突!』では処刑された鼠小僧は次郎吉本人だったが、窃盗は冤罪で、妻が26年後(つまり1860年)に仕事人に仇討ちを依頼した。
鼠小僧が処刑された1832年の翌年。1833年(天保4年)に仕事人・秀が江戸と日本各地を往復して出張仕事をしていた。
さらに1833年から1834年にかけて、安藤広重(歌川広重、~廣重)が「東海道五十三次」の浮世絵を描いた。この絵を暗号にして新からくり人に仕事を依頼したのは10年後の1844年で、高野長英が脱獄したとき。
なぜ広重は「五十三次」完成直後に旧からくり人に依頼をしなかったのが、奇妙である。
鼠小僧鼠処刑からアヘン戦争終結まで10年経過した。
【時代劇の時代設定】必殺からくり人:1832年の鼠小僧処刑で始まっている。12話で蛮社の獄がありこれは7年後の1839年。「仕事人大集合」によると生き残った仕掛の天平は元締虎と供に殉職。その後がおそらく「仕事人アヘン戦争へ行く」で舞台は1842年の日本と香港。
「必殺からくり人」で元締は芦田伸介扮する蘭兵衛だったが、芦屋雁之助の役名は八尺の藤兵ヱだった。「衛」が「ヱ」と書かれることが多いが同じシリーズの同じ回で「兵衛」「兵ヱ」「衛門」「ヱ門」などの「衛」と「ヱ」が両方とも使われる場合がある。
テレ玉で「必殺からくり人」。緒形拳、山田五十鈴、芦屋雁之助といった必殺の常連も今では三途の川の向こう。個人的には「新からくり人」再放送を先に見たので緒形拳、山田五十鈴、芦屋雁之助、ジュディ・オングがいると「からくり人」という気がする。仕掛の天平は「仕事人大集合」が初見だった。
「からくり人」第2話、長右ヱ門という登場人物がいる。菩薩花火は天保4年まで(何月までかは覚えていない)。天保4年は1833年。「必殺まっしぐら!」で秀が出張仕事をしたのもこの時代だった。
「からくり人」第1話の役名で「蘭兵衛」と「藤兵ヱ」がある。「ヱ」は「衛」の手書きの略字のなずだが同じ番組で統一していない。石川五右衛門は「石川五右ヱ門」でもあるはずだ。
「必殺仕事人」で秀がかんざしを持ち替えるときのチャリンの音はどうも「からくり人」の緒形拳のヘラさばきにさかのぼるようだ。「新仕置人」でよく聞いたシリアスな音楽(「からくり人のテーマ」か?)も「からくり人」からか。
「仕業人」では社会の底辺で踏みにじられる人たちが依頼人だったがそれを突き詰めたのが「からくり人」だろう。時代設定:「仕置屋」第1話が1842(天保12)年夏の出来事とすれば「仕業人」最終回は2年後の1843年夏。「からくり人」の時代設定は1832年から1839年まで。
2012年当時、テレビ埼玉で「必殺からくり人」の再放送をしていた。もし「からくり人」の終盤で鳥居耀蔵が江戸の南町奉行になっていたとすれば1841年末(陽暦で1842年)まで描かれた可能性がある。
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2012年9月
2012年9月
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