春日太一は里見浩太朗の起用を「スタッフが
捲土重来を期して起用したナショナル劇脳の切り札」としている。
しかし『清朝45』で春日氏は里見浩太朗起用もミスキャストだったとしている。
里見浩太朗が助三郎役だった時代を知る世代にとって、里見浩太朗の老け役はなかなか受け入れがたいものだっただろう。里見黄門は9年続いたので、西村黄門と同じ長さという意味では失敗ではないかも知れない。ただ春日氏が「里見浩太朗が起用されて10年余り(実際は9年余り)、スタッフは様々なテコ入れを繰り返して『水戸黄門』を延命させてきた」と言うその「テコ入れ」が逆効果であった(テコ入れが終了の原因を作った)とも考えられるであろう。
里見浩太朗が助三郎だった時代を知る視聴者は、光圀役が里見浩太朗である限りなかなか見ようとせず、周りのレギュラー出演者が目まぐるしく変わっても里見浩太朗の光圀役が不動では状況は改善しなかったのであろう。
一方、『水戸黄門』を見ている視聴者の中には里見浩太朗の「助さん時代」を知らない世代もいただろう。あおい輝彦が助三郎役の時代から見ていた人も多いはずだ。
里見浩太朗が助三郎役だったのは西村黄門の途中の1988年までであり、里見黄門で視聴率が一桁まで落ちたのはそれから20年後であった。
例えば照英は1974年生まれで東野黄門・里見助・横内格の時代に生まれ、西村黄門になったのは照英が9歳のときで、里見浩太朗が助三郎役だったのは照英が14歳までのころだった。
雛形あきこは1978年生まれで、東野黄門で格之進役が横内正から大和田伸也になった年の生まれである。彼女は里見浩太朗が助三郎役を降板した1988年当時10歳で小学生の少女だったはずであり、20歳だったのは1998年の佐野黄門・あおい助・伊吹格時代であった。
神田さやかは1986年生まれで、里見助降板当時は2歳。
黒川智花は1989年生まれで、あおい助時代に生まれた。
斉藤晶やさくらまやは水戸光圀役としての里見浩太朗しか知らない世代であろう。
こういう世代がもっとたくさん里見黄門を見ていれば、終了ももう少し遅かったであろう。
逸見稔没後、ナショナル劇場のスタッフが直面していたのは視聴率でなく視聴者層(年齢層)であり、松下電器にとって重要な顧客層である30代~40代がなかなか番組を見てくれず、他の時代劇よりも高齢な層が『水戸黄門』を見ていたことが問題だった。要するに『水戸黄門』の視聴率が10%あってもそれが高齢者だらけでは、パナソニックにとって廣告効果が期待できないわけだ。
そこで中尾幸男チーフプロデューサーが20世紀末から様々な改革を試みた。
朝日新聞のbeの特集記事によると中尾氏は「もし逸見さんが生きていたら反対したと思われる様々な実験」を試みたらしい。それなのに石坂黄門以降、「視聴率」が下がると、スタッフは慌ててもとの路線に戻そうとした(下
注釋)。スタッフは視聴率でなく視聴者の年齢層を若い層にするために改革をしたのに、数字が下がると慌ててもとの視聴者(おそらくは高齢者)を取り戻そうとした。これでは番組の方向性が定まらず、見ている方が混乱するだけだっただろう。
石坂黄門以降、『水戸黄門』の間のナショナル劇場は『こちら第三社会部』『こちら本池上署』『どん亀』『あんどーなつ』『ハンチョウ』と現代ドラマが続き、時代劇ファンより「若い」現代劇ファンが10年間で定着していただろう。春日氏によるとこの時期、從来の時代劇ファンが離れて視聴率が10%前後をさまよったらしいが、現代劇に関してはその10%の真加出30~40代の割合が増えていったはずである。
『水戸黄門』終了後、この枠は『ステップファザー・ステップ』『ハンチョウ5』『浪花少年探偵団』と続き、10月からは『パーフェクト・ブルー』が始まる。
視聴率は『ハンチョウ5』の10%ほどが最高で、『ステップ~』は7%前後で、『浪花~』は5%か6%前後という視聴率らしいがこれらは「ビデオリサーチ調べ、関東地区」である。前から疑問なのだが、録画視聴者を含めた視聴率や関西、東北、九州などの視聴率はデータがないのだろうか。
パナソニックでは滝川クリステルを起用して見逃した番組を見られるビデオデッキを宣傳している。パナソニックの顧客層であれば『浪花少年探偵団』を大方録画で見ていたはずだ。それの視聴率を含めれば10%を超えるだろう。
自分は月曜夜8時前後は外出中なので、『水戸黄門』で見たい話は予約録画して帰宅後に見ていたのだが、2011年7月のテレビの地デジ化以降は録画ができなくなった(下注釋)。
幸い、ハッピーマンデーの制度で成人の日も敬老の日も月曜日に割り当てられることが増えたので『水戸黄門』第43部も『ステップ~』も『ハンチョウ5』も『浪花~』も月曜が祝日のときには見ることができた。
もし『水戸黄門』が続いていたら『ハンチョウ5』を見ることはなかっただろうし、『ステップ~』も『浪花~』も知ることはなかっただろう。その意味では時代劇枠の終了は意味があった。
パナソニックドラマシアターのスタッフにお願いしたいのは、視聴率低下にめげずにこの枠で現代劇をどんどん続けてほしいということだ。『渡鬼』は短期で復活したが『水戸黄門』は安易に復活させてはならない。
春日氏が書いていたように『水戸黄門』は毎週または毎日見る生活習慣の中で作品のパターンが蓄積されていった。連続枠がなくなるにつれ、視聴者は一本一本の時代劇を待ち焦がれて気合を切れて見るようになった。そうなると先の読めるマンネリは物足りなくなる。『水戸黄門』も里見黄門になって2時間スペシャルが増えてはいたが、まだまだ1時間枠の時代劇を無理に引き延ばした作品という感じだ。
必殺シリーズなどは25年前に早々と2時間スペシャル枠に以降していた。その結果、スタッフも視聴者も映画やスペシャル版の必殺に慣れていた。『水戸黄門』は1時間連続枠に留まった時間が長すぎてそういう蓄積ができなかったのである。
『水戸黄門』の場合、1時間枠で「45分に印籠」などというパターンで待っていた視聴者は2時間枠になるとその感覚が狂うのである。最終回SPでも印籠シーンが2回あったが、1時間枠の2話を同じ日に続けてやったようなもので、定番の象徴だった由美かおるのお風呂シーンも申しわけ程度の付け足しだったようだ。
『水戸黄門』に関してスタッフは人々の絆、日本の各地の文化を傳える意味を強調するが、一方で他力本願や権威主義、
片山善博氏が「
水戸黄門幻想」と呼ぶつまみ食い的な手法を育んできた「弊害」もあっただろう。
金文京(Kin Bunkyo)も『水戸黄門「漫遊」考』文庫版あとがきで「水戸黄門の世直し旅など今の間隔では詐欺行為」「身分を隠して旅する人など今なら犯罪者」と分析していた。
一方で冲方丁(Ubukata Tow)の『光圀伝』が好評である。
これは世直し旅でもなければ印籠シーンも関係ない、『水戸黄門漫遊記』になる前の歴史上の人物・德川光圀の生涯を基にした小説である。
石坂浩二が水戸黄門の白髭をなくそうとしたことについて、『週刊新潮』2011年12/15号で里見浩太朗が批判して曰く「ナショナル劇場の『水戸黄門』は白髭の水戸黄門が世直し旅をする『水戸黄門漫遊記』が基礎であって、全国行脚自体が嘘なのに、そこに史実を持ち込んでも視聴者が受け入れるはずがない」。
確かに石坂黄門は全国行脚の設定を継承している意味では史実重視でも何でもなかった。『水戸黄門』のマンネリを好む人々にとって石坂黄門は変化が大きすぎたのだが、逆に『水戸黄門』の』のマンネリを批判的に見る人にとって石坂黄門も結局はマンネリの枠内に収まっていたわけだ。
しかし里見黄門が終わった今、金文京が言うように『漫遊記』の設定自体が世の中から受け入れられなくなったのだろう。
『天地明察』では中井貴一が若き光圀を演じているらしい。
石坂黄門から全国行脚の要素を省いて「白髭のない光圀が関東地方を舞台に活躍する時代劇」が今後は受けるかも知れない。
『水戸黄門』が東日本大震災の年に終わったのは偶然ではあるが、時期としては丁度よかった。
福島第一原發事故の際、当時の菅首相が事故の現場に直接指図したことが却って混乱を招いたらしい。『水戸黄門』の時代劇で言えば、各地の藩にとって幕府や藩を通さず水戸老公が藩に来て内政に干渉してくるのでは、誰の命令を聞けばいいのかわからなくなるだろう。
茨城県では地元のボランティアが芝居で『水戸黄門漫遊記』をやって高齢者施設への慰問などをしているらしい。本来、東野黄門時代に『水戸黄門』はテレビから離れてこういうボランティアの芝居にバトンタッチすべきであった。
平成24年tw
返信先:@tkasuga1977さん
なるほど。過去の春日さんの論から考えると、今の時代劇ファンは一つ一つの時代劇を待ち焦がれて気合を入れて見るようになっているので1時間枠の定番時代劇の復権はしばらくないでしょうし、水戸黄門が必殺や鬼平のようにSPで定着するには工夫と時間が必要でしょうね。
〔〕
前後一覧
関連語句
注釋
慌ててもとの路線に戻そうとした
石坂黄門第1シリーズ(『水戸黄門』』第29部)で八兵衛、弥七、飛猿、お銀が一度は「いなかったこと」にされ、由美かおるの役が疾風のお娟という別人になり、光圀の白い髭もなくなった。
ところが石坂黄門第2シリーズ(第30部)で白髭が復活。お娟もお銀のキャラクターに戻ったようだ。
里見黄門になって2時間スペシャルで八兵衛、弥七、飛猿が復活。
お娟のほかの忍者のお供として鬼若とアキが参加し、町人のお供にはよろず屋の千太、おけらの新助が参加した。
それで5年ほど続いたのだが、鬼若とアキの退場と前後して、内藤剛志扮する2代目弥七が登場したら1年か2年で視聴率が一桁になり、新助に代わって2代目八兵衛(演:2代目林家三平)が登場したら2年後に終了ということになった。鬼若とアキ、千太、新助が里見黄門の個性でもあった。弥七と八兵衛が復活した途端、里見黄門は東野・西村・佐野黄門の亜流という色が濃くなって、却って視聴者離れを起こしたのだろう。
スタッフが八兵衛・弥七の2代目起用を遅らせたのはある意味で英断であった。
録画ができなくなった
では録画機を買いかえればいいのだが、かつて録画を盛んにしていたときは「録画し損ない」が多かった。『水戸黄門』の夕方4時台はなぜか番組表では3時55分ごろに始まる。それでもそれはCMがおいいからで4時ジャストでは主題歌の途中だったりする。それで再放送をCMカット機能で録画すると4時までの部分が録画されず、4時以降はCMも録画されてしまい、カット機能が役に立たなくなる。
『ドラえもん』の特番の「どら焼き伝説を追え!」を目当てに、それを含む長時間SP予約録画したときなど、その肝心の「どら焼き伝説」が録画されていなかったことがある。こちらのミスなのか映像の電波の問題なのか確認のしようがない。
『南極大陸』の場合、録画ができない状態だったので、放送時間にテレビの前に座って見ていたら、日本シリーズをやっていてそれが1時間以上延びた。それでリアルタイムで見ていたお陰で『南極』も見ることができたが、ネットを見ると予約録画していた人が失敗したケースが多かったらしい。
参照
平成23年BLOG
【画像】
春日太一氏のtweets