野比のび太の代替わり 補足 Yahoo!知恵ノート
1960年生まれ…1970年9~10歳、1971年10~11歳(2代目)
└→1967年4月小学校入学、1973年3月小学校卒業
└→1968年4月~1969年3月小2
└→1969年4月~1970年3月小3
└→1970年4月~1971年3月小4(雑誌で『ドラえもん』を読んだのは1970年3月号まで)
└→1971年4月~1972年3月小5
└→1972年4月~1973年3月小6
└→1973年4月~1976年3月中学生
└→1976年4月~1979年3月高校生
 
1961年生まれ…1971年9~10歳、1972年10~11歳(3代目)
└→1968年4月小学校入学、1974年3月小学校卒業
 
原作「プロポーズ作戦」におけるのび太はこの学年であろう。
12年前が昭和34年(1959年)で、この年にのび助と玉子が婚約、結婚した。
同学年のスネ夫は1962年2月生まれ。
松田聖子は1962年3月10日生まれなのでこの学年である。
1961年6月15日生まれの岩崎良美は松田聖子(と言うより蒲池法子)と高校で同級生だったらしい。
2007年のアニメでゲスト声優を担当した際、松田聖子は「『ドラえもん』のアニメは私自身も見ていましたし、子どもといっしょに見たこともあります」とコメントしていた(検索)。
 
1962年生まれ…1972年9~10歳、1973年10~11歳(4代目)
└→1969年4月小学校入学、1975年3月小学校卒業
 
「ぼくの生まれた日」ののび太は1972年の雑誌掲載当時では昭和37年(西暦1962年)8月7日生まれの設定。この学年だと原作が始まった1969年12月当時では小学1年生で、原作開始当時小学生だった最終世代である。
声優の田中敦子は1962年11月生まれで、子供のころ、学年雑誌の『ドラえもん』を楽しみに読んでいたとコメントしている(『のび太と奇跡の島』パンフレット)。
 
1964年生まれ…1974年9~10歳、1975年10~11歳(6代目)
└→1971年4月~1972年3月小1
└→1972年4月~1973年3月小2
└→1973年4月~1974年3月小3(「さようなら、ドラえもん」)
└→1974年4月(「帰ってきたドラえもん」)~1975年3月小4
└→1975年4月~1976年3月小5
└→1976年4月~1977年3月小6(「りっぱなパパになるぞ!」)
 
温水洋一はこの学年で、1974年3月の『小三』で「さようなら、ドラえもん」を読み、次の同年『小四』4月号で「帰ってきたドラえもん」を読んだらしい(『人魚大海戦』パンフレットと『ドラえもん100』より)。
てんコミ第2巻収録版「ぼくの生まれた日」ののび太は昭和39年(西暦1964年)8月7日生まれでこの学年であるが、1977年に『コロコロコミック』が創刊されたときには中学生になり、1980年に『映画ドラえもん のび太の恐竜』が公開されたときには高校生に進学していた。
のび太が1964年8月生まれだとすると、1969年12月の原作開始当時は5歳4箇月。1970年1月では5歳6箇月。ドラえもんがのび太の部屋に居候を始めたのはのび太が小学校に入った6歳9箇月以降と思われるので無理5歳ということは考えにくい。
また、高校卒業は1983年3月になる。
「未来の国からはるばると」ではのび太の大学受験が1978年または1979年になっているが、のび太が1964年生まれだと、1978年春はのび太が中学2年の年度(1978年4月~1979年3月)の初めで、1979年春はその終わりである。この時期に大学を受けても落ちるのは当然であろう。
 
1966年生まれ…1976年9~10歳、1977年10~11歳(8代目)
└→1973年4月小学校入学、1979年3月小学校卒業
 
渡辺美里(1966年7月12日~)はこの学年である。
日テレの『ドラえもん』(富田耕生・野沢雅子版)が放送された年度で小学1年だった人は、テレ朝で大山のぶ代版が始まったときに小学校を卒業した。
なお、ドラえもんの声優が大山のぶ代から水田わさびに交代となった2005年春に小学校に入った人は2011年の『新・のび太と鉄人兵団』公開の春に小学校を卒業した。
 
テレ朝アニメ『ドラえもん』(1979~)における歴代野比のび太(小5)の生まれた年
 
テレ朝アニメ『ドラえもん』(1979~)における歴代野比のび太(小5)の生まれた年2
 
前後一覧
2012年9/4
 
関連語句
のび太の代替わり 歴代野比のび太 歴代のび

参照