小学館の『ドラえもん100』335ページで温水洋一(ぬくみずよういち)がコメントしており、1974年『小学三年生』の「さようなら、ドラえもん」とその翌月の『小学四年生』4月号「帰ってきたドラえもん」をリアルタイムで見た思い出を語っていた。
1964年6月生まれの温水氏は2010年の映画『のび太の人魚大海戦』のときにも学年雑誌で「帰ってきたドラえもん」を雑誌で読んだ記憶を語っている。
温水氏は1973年4月から1974年3月まで小学3年生で、1974年4月から1975年3月まで小学4年生だったと思われる。
てんコミ第2巻収録の「ぼくの生まれた日」ののび太が昭和39年(西暦1964年)8月7日生まれであり、温水氏はこの学年だ。なお、温水氏は6月19日生まれなので、誕生日はジャイアンの6月15日に近い。
 
314ページの年表では1973年4月のところで「NTV系列でアニメ放映始まる」とある。日テレ版に触れている意味では評価したい。もっとも316ページでは1979年のテレ朝版スタートを「テレビアニメ、スタート!」として大きく扱われている。日テレ版のほうはそれほど目立たない。
 
321ページによると、てんコミ第34巻収録「ヤジウマアンテナ」では1981年12月10日付の「朝口新聞」紙面が描かれている。
 
ドラえもんの年齢を考える場合、2112年9月の誕生から2125年夏(セワシがのび太と一緒に立体インベーダーゲームをした)まで13年近く。それに20世紀または21世紀の、のび太との共同生活の期間が加わるわけだが、それは何年か。
原作でドラえもんがのび太の前に出現したのは1970年(昭和45年)1月で、のび太とドラえもんがのび助のために地下鉄を作ろうとしたのは1974年(昭和49年)12月であった。
1981年は1970年から11年後である。
しかしドラえもんがのび太と10年、30年、40年も一緒だったわけではないだろう。
 
のび太が小学生になってからドラえもんがのび太の家に居候を始めたとすると、最初の季節は正月の冬だったから、それが小学1年生の冬休みだとしても小6の3学期終了まで5年3箇月である。
 
1974年4月で小4になったのび太(1964~)は1971年4月に小学校に入学し、1977年3月に卒業した。
ドラえもんの居候開始は1972年、1973年、1974年のいずれかの年の1月であった。
1964年生まれののび太は温水洋一、真矢みきと同い年であるが、真矢みきは1月31日生まれなので1963年度生まれに属し、小学校入学は1970年4月で、卒業は1976年3月だったと思われる。
 
2012年4月で小5になったアニメののび太(2001~)は2008年4月に小学校に入学した。小学校卒業は2014年3月の予定である。ドラえもんの居候開始は2009年、2010年、2011年、2012年のいずれかの1月であった。
2012年生まれののび太は加藤清史郎と同い年で、濱田龍臣(2000~)より1歳年下である。
今やのび太は澁谷武尊(2000~)より年下になったわけだ。 
 
『ドラえもん』によるとドラえもんは2112年9月3日に生まれた。あるいは生まれる予定だと言うべきか。
2112年の未来のことを過去形で言うのは奇妙だが、これはタイムマシンによって生じる2次元の時間軸で表したように、タイムマシンの使用によってドラえもん誕生がドラえもん来訪(のび太から見た場合)より前になっているわけだ。
 
前後一覧
2008年9/3 9/3前後
2009年9/3
2010年9/3
2011年9/3
2012年9/3 9/3前後
2013年9/3
2014年9/3 9/3前後
 
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