広島と長崎が原爆投下から67年を迎えた。東日本大震災までは2都市で五輪開催を考えていたようだが、それも頓挫した。今や広島と長崎が非核を世界に訴えたところで福島の事故を生んでしまった日本では説得力に欠ける。
さて、戦後67年は大東亜戦争(日中戦争1937~、第2次世界大戦1939~、太平洋戦争1941~)終結の1945年から数えて67年という意味だが、他の戦争ではどうか。
1185年の壇ノ浦から67年後は1252年(1250年代)。鎌倉時代であり、その20年後に元寇である。
1467年の応仁の乱から67年度は1534年。織田信長が誕生した。
1615年の大坂夏の陣から67年後は1682年(1680年代)であり、綱吉が将軍になって2年で、越後騒動が終息。ハレー彗星が接近した。
1868年の戊辰戦争から67年後は1935年で、2年後に日中戦争開始。
1877年の西南戦争から67年後は1944年で、大東亜戦争集結の前年であった。
今、日本で領土でもめているのは、1945年に終わった大東亜戦争のあとの条約をどう解釋するかということだろう。
そうなると領土問題を解決するには、日本が中韓露と戦争をして、勝敗を決して、条約を締結し直すのがもっとも確実な方法である。戦争というのは国同士の意見の調節であり、戦国武将もそれをやっていた。
日本は戦争を放棄した代償として、外国と領土を決定する方法を失ってしまったと言える。