仕事人たちが活動していたとき、将軍は誰だったか。
 
4家綱~5綱吉(兄弟)
必殺!4恨みはらします』『必殺忠臣蔵』 
 
1680年 家綱没、綱吉が将軍に
1681年 老中酒井雅楽頭没(『恨みはらします』で奥田右京亮に毒殺された)
1701年 松の廊下
1702年 (陽暦で1703年) 討ち入り(元禄赤穂事件)
1709年 綱吉没
 
『必殺仕事人V』第25話「主水、源氏と平家に泣かされる」
 
1760年 家治が将軍に
1785年 1185年の壇ノ浦の合戦から600年(『仕事人V』第25話)
1786年 家治没
 
11家斉
『必殺仕掛人』『必殺仕置人』『必殺からくり人』『新必殺仕置人』『必殺商売人』『必殺仕事人V』最終回、『必殺!III裏か表か』『必殺まっしぐら!』『必殺仕事人V旋風編』第7話、『仕事人vs秘拳三日殺し軍団』『春雨じゃ、悪人退治』『必殺!5黄金の血』『必殺仕事人2007』『必殺仕事人2009』
 
1787年 家斉が将軍に
1787~1795年 長谷川平蔵が火付盗賊改片長官(『三日殺し軍団』?)
文化・文政(1804~1830) 仕置人が活動(『仕置人』『新仕置人』)
文政年間 仕業人が活動(脚本段階)  
1819年 主水がオランダ商館から表彰される(『旋風編』第7話)
1820年 主水が裏稼業(『裏か表か』『2007』)
1821年 主水が裏稼業(『2009』)
1826年 南町奉行が筒井和泉守で丙戌年(『黄金の血』) 
1828~1829年 シーボルト事件(『春雨』)
1835年 ハレー彗星接近(『激闘編』?)
1837~1841年 家斉が大御所(『春日野局』)
 
12家慶
(11家斉が大御所で12家慶が将軍)
『必殺仕事人V風雲竜虎編』『春日野局の秘密』
(11家斉没後、本格的な12家慶の治世)
『必殺仕置屋稼業』『新必殺からくり人』『必殺からくり人富嶽百景』『仕事人意外伝』『仕事人vsオール江戸警察』『必殺!主水死す』
 
1837~1841 家斉が隠居し、家慶が将軍に(『春日野局』)
1841年 大御所・家斉没(『風雲竜虎編』)
1841年 鳥居耀蔵が南町奉行に(『仕置屋』『江戸警察』)
天保年間 仕業人が活動(第1話で又右衛門が読んでいた占いの本より)
1842年 主水・秀・勇次・順之助・加代が香港で仕事(『アヘン戦争』)
1844年 主水が組紐屋の竜・花屋の政と組む(『意外伝』)
1844年 高野長英脱獄(『新からくり人』)
1844年 鳥居耀蔵失脚(『江戸警察)』
1849年 葛飾北斎没(『富嶽百景』『主水死す』)
1851年 水野忠邦没(『主水死す』)
1853年 家慶没
 
『香港・マカオ』で主水と秀が出張仕事をしたのも放送当時(1990年代初め)から150年前なので1840年代と思われる。『渡し人』の玉屋の火災は1843年のそれか。
 
13家定
『暗闇仕留人』
 
1853年 黒船来航(『仕留人』第1話)。家慶没。家定が将軍に
1854年 黒船再来航、横浜で日米会談(『仕留人』最終回)
1858年 家定没
 
『仕事人、京都へ行く』の京都御所の大修理は江戸時代に8回ほどおこなわれており、江戸時代で最後は1855年で家定の治世。その前は1790年で、家斉の治世になる。
 
『大老殺し』『横浜異人屋敷』『必殺仕事人・激突!』第1話(鼠小僧処刑から26年後)
 
1858年 家茂が将軍に。井伊直弼が安政の大獄
1858年 安藤広重没(『大老殺し』で日米野球大会の模様をスケッチ)
1859年 横浜開港
1860年 桜田門外の変(『大老殺し』)
1860年 鼠小僧処刑から28年(『激突!』第1話)
1863年 清河八郎が浪士隊結成(『横浜異人屋敷』)
 
15慶喜(~大政奉還以降)
『必殺!ブラウン館』(『必殺からくり人・血風編』)『横浜異人屋敷』(鳥羽・伏見の場面)
 
1866年(陽暦で1867年) 慶喜が将軍に(『ブラウン館』)
1867年 慶喜が大政奉還
1867年(陽暦で1868年) 王政復古の大号令
1868年 鳥羽・伏見の戦いで佐々木只三郎没(『横浜』)
1868年 官軍が江戸に接近(『血風編』)
1868年 江戸開城
 
『必殺からくり人・血風編』は大政奉還と江戸開城の間の時代が舞台で、厳密には慶喜は将軍ではなくなっていたと言える。
『助け人走る』の最終回と『仕事人V旋風編』の第6話「主水バースになる」では将軍が現職のまま没しており、徳川将軍で該当するのは家綱、綱吉、家宣(家継は幼すぎて除外)、家治、家慶、家茂である。
『仕事人V激闘編』のハレー彗星接近は1607年なら秀忠の時代で、1682年なら綱吉。1759年なら家重。1835年なら家斉の時代。