新潟明訓は2年ぶり、7回目の甲子園なので、前回、6回目に甲子園に出たときの1年生が今年は3年生として出場している。
ラジオのレポートでブラスバンドが言っていたように、2度目の甲子園で、今年が最後と言う人もいる。
 
岐阜商は守備でエラーし、攻撃でチャンスを生かせなかった。
 
『熱闘甲子園』では新潟明訓の宮島巧(~たくみ)選手をドカベンのような選手として紹介していた。
『ドカベン』の単行本も画面に映ったと思ったが、イラストには真田一球もいたので『大甲子園』か『ドカベン スーパースターズ編』であろうが、『大甲子園』だと思う。
 
1991年に新潟明訓が甲子園に初出場してから21年が経過した。
20年の節目の年、新潟明訓は甲子園出場を逃したが、次の年に2年ぶりに出場したわけだ。
1992年には松井秀樹が5打席連続敬遠された。
『ドカベン』の5打席連続敬遠は少年チャンピオン・コミックス第28~29巻に収録されており、第29巻の書簡は1977年昭和52年11月5日發行。
 
済々黌(熊本)と鳴門(徳島)の試合で『ドカベン』の「ルールブックの盲点による1点」が再現された。
 
『ドカベン』でこれが描かれたのは山田太郎高2夏の神奈川予選の明訓×白新戦で、実社会の時代はこの時期に1978年から1979年に移行していた。少年チャンピオン・コミックス第35巻収録で、文庫版なら第23巻らしい。
豊福きこうによると、この「ルールブックの盲点による1点」はさすが野球の本場アメリカの大リーグでは既に記録されていたらしい。
 
『巨人の星』で「ルールブックの盲点による1点」はないが、それに近いケースの描写はある。
まず、1966年または1967年の青雲高校と尾張高校の試合(下注釋)の最終イニング、青雲の攻撃で、星飛雄馬は太刀川投手の投げたドロップをバントし、スクイズを敢行。太刀川は「ホームは間に合わん、一塁か」と言って一塁に送球したが、疲労から体勢が崩れて送球が遅れ、飛雄馬が間一髪一塁セーフで、青雲の勝利となった。この場合、もし飛雄馬が一塁でアウトになっていたら、たとえ三塁走者が本塁でセーフだったとしても青雲は得点できなかった可能性がある。
 
次に飛雄馬が大リーグボール2号を花形に打たれた試合(下注釋)で、時代は1970年の開幕後の前半戦初期。
カードはもちろん巨人×阪神の傳統の一戦。花形が「三塁走者協力作戦」で大LB2号を打って、柴田に捕球されてアウトになったケースである。この場合、三塁走者だった田淵が本塁に触れたのは花形が打ったあとだったので、花形がアウトになった時点で得点は認められなかった。
作品では田淵のベースタッチは柴田が打球を捕ったあとだったので、これでは完全に3アウト成立後になり、このイニングのタイガース無得点は当然だった。この部分を最初に読んだとき、もし花形が打ったあと、打球が宙を飛んでいる間に田淵が本塁ベースに触れたらどうたったか疑問に思ったものだ。
 
作新学院は栃木代表。
『ドカベン』の栃木代表の江川学院と中二美夫(あたるふみお)は作新学院と江川卓をモデルにしたものだろう。
 
前後一覧
2012年8/13前後
 
関連語句

1966年または1967年の青雲高校と尾張高校の試合
青雲と尾張高校の試合は、星飛雄馬が青雲高校にいた1年夏の甲子園。
飛雄馬の入学当時を基準にすると1966年だが、中退の時期以降のプロ野球編を基準にすると1967年である。
原作はKC第4巻、文庫第2巻の「試合開始」で、アニメでは三河高校で第35話「魔球対剛速球」。
 
飛雄馬が大リーグボール2号を花形に打たれた試合
本文にあるように1970年前半戦。KC第17巻、文庫第10巻の「強いやつが勝つ!」で描かれ、アニメでは第155話「花形の奇策」に相当する。

参照