一方で、なでしこがブラジルを破った。
ブラジルやイングランドが五輪のサッカーで金メダルを獲れなかったら「屈辱」だろうし、アメリカが野球のWBCで優勝できなかったら「屈辱」であろうが、スポーツとはそういうものだ。
 
梶原一騎は『柔道一直線』と『柔道讃歌』で柔道の本場としての日本が外国勢に敗れることを「屈辱」として描いた。
一方、『巨人の星』と『侍ジャイアンツ』では「野球ではアメリカの王座はいつまでも続かない」ということを強調し、日米ワールドシリーズで日本野球が大リーグを破ることを夢として描いた。
 
2011年、カナダで開かれた女子ソフトボール世界選手権で、日本チームが優勝。
その直後のロンドン五輪で日本柔道が金を獲れないのはある意味で時代の必然である。
 
「柔道がJUDOになってしまった」などという「文字遊び」には意味がない。
日本の柔道も英語で書けばJUDOだし、世界のJUDOもシナ語では「柔道(roudao)」と表現する以外にない。
日本人はアメリカ由来のbaseballを日本の「野球」にして、世界一の座を手にしてきた。
アメリカ人に言わせれば「WBCの競技は我々アメリカ人のbaseballでなく、日本式のyakyuになってしまった」ということになるだろう。
 
アメリカの野球の現状は日本の相撲と柔道に似ている。
日本の相撲には外国人力士が増えて、モンゴル人同士、欧洲人同士、モンゴル力士対欧洲人力士の取り組みなど珍しくなくなった。これはアメリカの大リーグも同じで、アメリカの外から来た外国人大リーガーが活躍している。大リーグで日本人同士の対決も珍しくないし、ロンドン五輪開会式でドミニカ共和国は「大リーガーを多く輩出している国」と紹介された。
柔道は本場の日本が勝てなくなっているが、野球のWBC、女子ソフトボールの世界選手権も同様だ。女子ソフトボールなど、2008年に北京五輪でも2012年の世界選手権でも日本が優勝した。つまりアメリカが優勝できなかったわけだ。ロンドン五輪で日本男子柔道が金メダルを獲れないのが「日本柔道の屈辱」なら、アメリカの野球とソフトボールも「屈辱」の時代になっている。
アメリカ人にとって今の時代はそういう意味で屈辱的だろうが、そういう意見はなかなか報道されない。
 
男子柔道の金メダル0について日本では「なぜ日本柔道は勝てないか」という内部の原因を探すことに終始しているが、日本を倒した選手がなぜ勝ったかを考えない。1964年の東京五輪(下注釋)についても、日本では「なぜ負けたか」ばかり考えて精神論や技術論に走るが、ヘーシンクに「なぜ日本柔道に勝てたか」と聞いてみればいい話だ。
大東亜戦争に関しても日本人は「日本がなぜ戦争を初めてなぜ負けたか」という視点だけで考えており、「中国やアメリカがなぜ日本と戦争をして、なぜ勝利したか」という外部の要因を考えていない。それで勝つか負けるかという分析も、自分と相手の戦力の差も考えず、勝利(金メダル)を期待し、結果惨敗に終わって意気消沈というのは、玉音放送の時代もロンドン五輪の時代も変わっていない。
五輪報道では、長野五輪のころまでは「自分のため」が主流だったのに、ロンドン五輪になると「絆」の大安賣りである。
 
Yahoo!知恵袋より
 
ロンドン五輪で男子柔道が金メダルを獲れなかっただけでマスコミが大騒ぎ? 野球のWBCで日本が優勝しアメリカが優勝できなければアメリカには屈辱だろう。だが個別の種目の原産国が負けることがそのスポーツの普及を意味する。
 
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2012年8/4
 
関連語句

注釋
このときは日本柔道は金メダル3個を獲得し、銀1個が対ヘーシンクであったからロンドンよりは遥かにまし。
 
金メダル
中谷雄英(日本、柔道軽量級)
猪熊功(日本、柔道重量級)
岡野功(日本、柔道中量級)
 
銀メダル
神永昭夫(日本、柔道無差別級)

参照