1『必殺仕掛人』(1972)
池波正太郎原作、北鏡太脚色、さいとうたかを作画による劇画版『仕掛人・藤枝梅安』の仕掛之四十七「梅安荒梅雨」では寛政末期、1798年の話だが、1972年当時の『必殺仕掛人』のスタート直前の番組予告では少し時代が進んで1804年から四半世紀の間の文化・文政になっている。
『仕事人vs秘拳三日殺し軍団』(1988)の時代設定は長谷川平蔵が登場することから寛政前後と考えられる。
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2『必殺仕置人』(1973)
番組予告では文化(1804~)・文政(1818~1830)。『新必殺仕置人』(1977)もCDの解説などでは文化・文政。
映画『必殺!III裏か表か』は文政3年(1820年)4月から話が始まる。
『必殺仕事人V旋風編』第7話(1987)でも時台は1819年で、『仕事人2007』は文政3年(1820年)2月から話が始まる。
 
3『助け人走る』(1973)
高田馬場の戦いが描かれていたようなので、元禄の可能性もあるが、『仕置人』の続きとすると文政か。しかし最終回で将軍が他界している。江戸前半で将軍が現職中に没したのは1651年家光没、1680年家綱没、1709年綱吉没、1712年家宣没、1716年家継没。家重は1760年に将軍の座から退いたあと、翌年没。1786年の10代家治没と1853年の家慶没のあとは幕末で、1858年家定没、1866年家茂没。
家康と秀忠、吉宗、家斉、慶喜は将軍の座から退いたあとも長く健在だった。
 
4『暗闇仕留人』(1974)
1853年の黒船来航から1854年の次の黒船まで。
『必殺!主水死す』で主水が水野忠邦を暗殺したのが忠邦没年の1851年とすると、黒船はその2年後。
また、仕事人SP『大老殺し』(1987)は仕留人解散から4年後の1858年の安政の大獄から話が始まり、晩年の安藤広重が登場。
『横浜異人屋敷』(1990)では黒船から10年後の1863年、清河八郎の浪士隊結成が描かれている。
攘夷派が多くの人間を大筒の的にする外道が『仕留人』と『横浜』で描かれた。
 
おせいが再登場した『必殺商売人』(1978)は河内山宗春のいた時代とすると文政年間になるが、『仕事人大集合』(1982)で半兵衛が再登場したのが1839年(天保10年)の蛮社の獄(『からくり人』)と1842年(天保13年)のアヘン戦争終結(『仕事人アヘン戦争へ行く』)の間とすると1830年に文政が終わって12年経過したことになる。
 
 
6『必殺仕置屋稼業』(1975)
鳥居耀蔵が南町奉行になった1841年(天保12年)末から。第1話で南町奉行所に着いた主水が挨拶している場面の書状で「天保拾貮年」とわかる。さらに第10話で主水が42歳と判明する。
『仕事人vsオール江戸警察』(1990)も鳥居就任を描いているが、ここでは主水は奉行所に勤務して23年の古株。
 
7『必殺仕業人』(1976)
山田誠二『必殺シリーズ完全百科』によれば脚本段階では文政年間の設定であったが、DVDで確認すると第1話でやいとが天保の占いの本を見ていた。
『仕置屋』では放送当時と同じく夏から冬まで描かれ、『仕業人』では逆に冬から夏まで描かれ、『仕置屋』最終回で市松が江戸を去ってから、『仕業人』で主水グループに剣之介とお歌が参加するまで、劇中では1年の空白期間があった。すると剣之介とお歌の参加は1843年初めになる。
『仕事人アヘン戦争へ行く』(1983)で描かれた1842年当時を含むし、『仕事人意外伝』(1985)によると、仕業人解散(推定1843年)から1年近く経過した時(1843年末~1844年初め)に主水と竜・政が組んだことになる。
 
8『必殺からくり人』(1976)
1832年(天保3年)の鼠小僧処刑から1839年(天保10年)の蛮社の獄を経て1841年末の鳥居耀蔵南町奉行就任まで。鳥居耀蔵の奉行就任は『仕置屋』『江戸警察』で描かれる。
鼠小僧処刑は『必殺仕事人・激突!』(1991)第1話で28年前の出来事として描かれた。
『必殺まっしぐら!』で人が出張仕事を繰返していたのは1833年(天保4年)。
安藤広重の「東海道五十三次」は既にできていたが、新からくり人チームへの依頼は10年以上経過した1844年の高野長英脱獄の時。なぜ浮世絵を描いてすぐ依頼しなかったか不明。
1844年(天保15年、弘化元年)、高野長英が脱獄し、新からくり人に参加。 中村主水が鳥居を暗殺(建前は解雇、丸亀藩に預けられ幽閉された)。
 
9『必殺からくり人・血風編』(1976)
1868年(慶応4年)、王政復古のあと、官軍が江戸に近づいていた時代。元号が明治になる前の江戸時代を描いた作品では一番現代に近い。『横浜異人屋敷の決闘』(1990)では主水が1868年の鳥羽・伏見の戦いに出陣し佐々木只三郎(劇中で唯三郎)を暗殺している。
 
10『新必殺仕置人』(1977)
CDの解説書などでは「江戸時代成熟の文化・文政年間」となっている。第5話「王手無用」で将棋棋士・伊藤果(~はたす)が伊藤宗看を演じており、時代が合うのは6代目である(劇中で何代目の設定かは不明)。
『必殺仕事人中村主水の秘密』によると、「阿呆無用」では時代設定が天保11年(1840年)になっているらしい。
>天保8年8月14日。
>さあさ、えらやっちゃ、えらやっちゃ、よいよいよいよい。
>踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃそんそん。
>阿波では、祭りの真っ最中だった。

11『新必殺からくり人』(1977)
第1話で高野長英(演:近藤正臣)が脱獄していたので1844年(天保15年→弘化元年)。『仕事人vsオール江戸警察』で主水が鳥居を暗殺する寸前である。『新からくり人』の最終回で高野長英は再び捕り方に追われ、火吹きのブラ平こと油の平蔵(演:芦屋雁之助)に頼んで顔を焼いてもらい、一座と別れて逃亡した。『吉村昭歴史小説集成第三巻』(岩波書店、2009年)では後半に『長英逃亡』が収録されている。
高野長英が江戸に戻ったのは1846年(弘化3年)と1849年(嘉永2年)で、1850年(嘉永3年)に捕り方に踏み込まれて自害したらしい(『歴史読本スペシャル特別増刊「日本史そこが知りたい」1986年11月』)。だから『新からくり人』は1844年から1846年または1849年までの話。長英が薬品で顔を焼いていたのは1849年に戻った時だったが、これが『新からくり人』の最終話の時代だとすると『富嶽百景』最終話の北斎没と重なるので、長英が新からくり人チームを離れたのは1846年か。
 
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2012年7/21 
 
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