解決済み - 更新日時:2010/12/24 16:11:54 - 回答数:3 - 閲覧数:129
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この質問を見つけた時は、ベストアンサーが決まって、投稿不能だった。
ベストアンサーで言及している「玉子38歳」は「恐竜の足あと発見」での設定で、これは1985年の作品。
玉子が1985年当時で38歳なら1947年生まれである。

別の回答で「ドラえもんの時代設定は1975年ごろで、のび助と玉子は1959年に婚約したので16年経過しているはず」とあるが、のび助と玉子の婚約が1959年(昭和34年)というのは、てんコミ1巻「プロポーズ作戦」における設定で、ここでは1971年にのび助と玉子の12回目の結婚記念日を祝っていた時にこの話が出た。

また、これは1979年の大山ドラ初期にアニメ化されたが、2004年の大山ドラ末期には「13年目のプロポーズ」としてリメイクされ、結婚から13年後の話になっていた。
この「プロポーズ作戦」は水田ドラになった後に「のび太のプロポーズ作戦」としてまたリメイクされている。

「ドラえもん」の時代設定は原作第1話であれば1970年正月で、2012年春以降のアニメであれば2012年年度であり、42年の幅がある。
何よりWikipediaから引用するのは、回答者が作品を読んでいない証拠で、自分で調べていない者がWikiに頼るのである。のび太の母親の年齢設定なら、作品を見ていれば自然にわかることだ。

次に玉子が何歳でのび太を出産したか検証してみる。
玉子が38歳でのび太が10歳であれば、玉子にとって28歳の時の出産であるが、誕生日の違いから27歳もありうる。

1975年に出たてんコミ7巻収録「ママのダイヤを盗み出せ」では、玉子が幼いころの話があり、これが昭和23年(西暦1948年)である。原作で玉子の当時の年齢はわからないがアニメでは7歳になっている。
1948年で7歳だと1941年生まれである。ザ・ピーナッツの伊藤エミ・ユミ姉妹(1941~)と同い年だ。
すると雑誌初出は1973年7月「小六」なので、のび太は掲載雑誌の読者の学年であれば1973年度で小6。しかものび太は8月7日生まれなので、12歳の誕生日は1973年8月7日。73年7月の時点でのび太は11歳11か月。小学6年の1学期末~夏休みだったことになる。
この場合、のび太は1961年生まれだ。
すると玉子は1941年生まれで、20歳の時にのび太を産んだことになる。
1941年生まれの玉子は「ママのダイヤ~」雑誌掲載当時31~32歳。

次に単行本を基準にしてみる。
単行本7巻の出た1975年の時点で玉子は34歳。単行本と文庫ののび太は常に小学4年、満年齢で9歳から10歳なので、1975年の誕生日で10歳であれば、のび太は1965年生まれ。雑誌掲載当時ののび太よりも4歳若返ったわけだ。
すると玉子は1941年生まれで、24歳の時ののび太を産んだことになる。

また1979年7月14日の初期大山ドラえもんのアニメ版「ママのダイヤ~」では、玉子は38歳。
このアニメののび太が1979年8月で11歳になったとすると1969年生まれなので、玉子28歳の時の出産であった。
玉子の声を担当した千々松幸子は1937年生まれなので、玉子より4歳年上であった。

一方、この「ママのダイヤ~」は2007年8月にアニメでリメイクされている。
この時、玉子が7歳だった過去は1980年代の初め、松田聖子が「聖子ちゃんカット」でサイン会をしていた時代になっており、7歳の玉子が駆けつけた時には1982年の曲「赤いスイートピー」(下注釋)が流れていた。
ここから2007年版「ママのダイヤ~」の玉子が1982年当時で7歳だったと假定すると、玉子は1975年生まれ。奇しくも「ママのダイヤ~」が収録されたてんコミ7巻の初版刊行年と同じだ。のび太の声を担当している大原めぐみ(1975~)と同い年である。玉子の声を担当している三石琴乃は1967年生まれで8歳年上だ。
この2007年版「ママのダイヤ~」では、のび太は1996年生まれになるから、玉子は21歳でのび太を出産したことになる。
2007年の放送当時で、玉子は32歳だったことになる。

ところで、「プロポーズ作戦」で玉子が1959年に婚約した時何歳だったか考えると、「ママのダイヤを盗み出せ」の玉子が1948年当時7歳だったとすると、18歳で婚約したことになる。雑誌掲載年で比べるとと「ママのダイヤ~」は「プロポーズ~」より2年後の作品なので、玉子の生まれた年が過去から現代に向かって2年ずれているとすると、「プロポーズ~」の玉子は1939年生まれで、婚約当時20歳という結論になる。

さて、2012年の「映画ドラえもん のび太と奇跡の島」では、のび太の父・のび助が30年前に小学生だった。この時ののび助の外見は2012年の少年のび太と同じくらいである。アニメののび太は小学5年生で、満年齢では10歳から11歳である。もし「奇跡の島」ののび助が1982年の誕生日で11歳になっていたのであれば、82年春公開の「映画ドラえもん のび太の大魔境」に登場したのび太は「奇跡の島」ののび助とほぼ同世代になる。

2007年の「ママのダイヤ~」と2012年の「奇跡の島」を合わせると、1982年でのび助11歳、玉子7歳という計算結果になる。

なお、原作の「ドラえもん」では1982年当時に何があったかというと、「竜宮城の八日間」で小学生ののび太、しずか、スネ夫、ジャイアンとドラえもんが竜宮城に行って戻ってきた時代が1982年であった。
翌1983年にはこの「竜宮城(海底都市)」の世界をスケールアップした映画「のび太の海底鬼岩城」が公開されている。
 
前後一覧
2012年7/5前後
 
関連語句

注釋
1982年の曲「赤いスイートピー」
この曲は8枚目のシングルで1982年1月に出た。2007年のアニメ『ドラえもん』の「ママのダイヤを盗み出せ」におけるサイン会は夏に行われたようだ。これが1982年夏であれば、春に「渚のバルコニー」、夏に「小麦色のマーメイド」が出た後であった。もちろんサイン会で半年前のヒット曲が流されていた可能性は充分にある。なお、1982年ごろを境に松田聖子の髪型は「聖子ちゃんカット」から脱却し普通のショートやセミロング、ロングの髪型になっていった。その後の「ガラスの林檎」(1983)、「時間の国のアリス」(1984)のジャケット写真参照。

参照