新聞テレビ欄では「育ての親涙の決心・一関」。
番組HPでは『育ての母、涙の決心』/一関
www.tbs.co.jp/mito/mito37/4.html#l17
 
劇中で12歳の新吉少年の生まれた年が「酉乙」(または「乙酉」?)のようであった。
乙酉であれば、光圀隠居時より前で一番近い年は1645年寛永21年)で、この年に生まれた人は1690年(元禄3年)の光圀隠居の時点で45歳を超えてしまう。その次の乙酉年は1705年だから光圀没後である。
第37部と第38部では書状などで年号と干支が「元禄丁丑年(元禄10年=1697年)」である場合が多い。
これで12歳であるとすると1685年で0歳。
江戸時代の人は数え年で、1歳の年が生年だから、1686年貞享3年)生まれになるはず。
一関藩の藩主は初代藩主・田村誠顕だったはずだが、劇中でもこの藩主だったか覚えていない。
 
6月26日の昼、フジテレビ『ごきげんよう』に伊吹吾郎が出演して、『水戸黄門』の話。印籠を出そうというとき、失敗することが多かったらしい(下注釋)。
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里見浩太朗がNHKの『スタジオパークからこんにちは』に出たときも『水戸黄門』の話だった。
TBSの番組とはいえ、『水戸黄門』が国民的時代劇になっていたことの表れだろう。
『トリビアの泉』でも『ウルトラマン』『仮面ライダー』『水戸黄門』『遠山の金さん』『巨人の星』のネタがよく採用されていた。
 
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2012年6/21 6/19~21 
 
関連語句
水戸(ものがたりの歴史III)

注釋
印籠を出そうというとき、失敗することが多かったらしい
藤田まことも「当たり前田のクラッカー」を出すとき、前田のクラッカーの向きがちゃんとなるようにするのが大変だったらしい。藤田まことと伊吹吾郎は『必殺仕事人』で共演していたことがある。

参照