『水戸黄門』第37部第5話「陰謀砕いた美人姫(越後高田)」(2007年5月7日本放送)
 
光圀(演:里見浩太朗)は「旅の隠居」と名乗っていたが、場所が越後なので「越後のちりめん問屋の隠居」とは言わなかった。
和姫を演じたのは第40部で密姫を演じていた黒川智花。
助三郎と格之進の役は原田龍二と合田雅吏で、お娟のほか、おけらの新助もレギュラーだった。
 
藩主は年貢を減らすように命じていたのに、地方政治が逼迫していたということで、家臣(演:林与一)が年貢を上げ、村にいる反体制の浪人と組んで和姫誘拐事件を仕掛け、その罪を村人に押し付けて村と城を攻撃。
和姫が村と白に急行しやめさせた。
 
昨今の消費税増税や東電の値上げを連想させる話だ。
藩主は松平定重の時代である。
 
話としてはよくできているが、撮影に結構金をかけているようで、これで視聴率が10%くらいに落ちていたのはなぜかというと、視聴者が『水戸黄門』をドラマとして見なくなっていたからではなかろうか。
第37部の放送された2007年の次の年、2008年の第38~39部で視聴率が初めて一桁に落ちた。
視聴者はレギュラーの配役がイメージに合わないとか、女優が風呂に入るシーンがないとか、表面的な理由で見るのをやめていた可能性がある。逆に内容がほとんど同じだから毎回見なくていいと判断されやすいこともあるだろう。里見浩太朗が「脚本は前よりよくなっているのになぜ10%なのか」と嘆いていたのは『水戸黄門』のファンの多くが脚本でなくお約束の場面(印籠、お風呂など)だけを目当てにしていたからだろう。
 
もちろん、それはスタッフが狙ったことで、逸見稔は分刻みで脚本をパターン化させて、印籠シーンや入浴シーンだけを見たがる視聴者を獲得し、瞬間視聴率を上げることに情熱を傾けていたようだ。その結果、『水戸黄門』の視聴者は1時間のドラマのストーリーを追うのでなく、バラエティ番組を見るように決まった時間の一瞬のシーンだけを観る人たちばかりになってしまった。
逸見稔が他界した1995年から4年後に就任した中尾幸男チーフプロデューサーや他のスタッフ、脚本家たちがドラマとしての『水戸黄門』を取り戻そうと様々な努力をしたが、事態は変わらなかったのだろう。ちゃんとしたドラマを見たがる人は「水戸黄門はマンネリの時代劇」という固定されたイメージで初めから見ようとしなかったわけだ。
 
第37部「越後高田」で光圀は越後を去ると水戸へ戻ると言い、しかし遠回りをして行くと言った。
それで東北を旅し、鬼若とはぐれることになり、弥七と合流することになったわけだ。
光圀たちが越後にいたときに弥七はどこにいたのだろうか。
 
なお、越後は第4部(光圀:東野英治郎)でも舞台になっており、越後騒動から14年後という設定になっている。
越後騒動は1679年から1681年まで、家綱の晩年から綱吉の初期までの時代で、それから14年後というと1693年から1695年までの間になる。
第37~38部の設定は1697~98年ごろになるので、光圀が何度か越後を訪れても騒動が治まっていなかったことになる。
 第4部の第5話では東野英治郎の2役で長岡の光衛門が登場した。
第37部で光圀(演:里見)が越後を訪れたときはもう一人の光衛門は越後にいなかったのだろうか。
 
第37部はリアルタイムでは観なかったが『水戸黄門』全体が終わったあとに再放送で観ると、各地の名産の紹介など、メッセージは健在だったことがわかる。ただ城の中からこういう造反者が次々でるのに対症療法のような場当たり的な対応しかできない「水戸老公の世直し旅」には限界があったということだ。
光圀は少なくとも身分制度や鎖国制度をなくそうとはしなかった。
もっとも幕府が倒れて145年たった今も、世の中は大して変わっていない。政府の財政が苦しくなると増税しか考えない為政者は昔も今も同じだ。
ただ、江戸時代の改革では幕府の財政が破綻しかけると、庶民のゼイタクを禁止したが、今では消費を奨励するようになっていて、そこが違う。同じなのは増税だけだ。
 
2007年というのは片山善博氏が『中央公論』で「改革派知事待望は水戸黄門幻想だ」という主張をした年でもあった。
 
6月5日は佐渡金山の話で、助三郎と格之進が人足になって潜入し、山が爆破されかかったのを鬼若とアキが救ったのだが、光圀は敵陣で鉄砲隊に圍まれ、護衛はお娟のみという危ないところだった。結局、鬼若とアキと助・格が到着していつものパターンになった。
助三郎(演:原田龍二)と格之進(演:合田雅吏)は身寄りのない無宿人に化けていたが、この時点で助・格は独身の設定だったから、これでよかったのだろう。
ただ、一行がこれほど危ない目に遭ったのに、弥七(演:内藤剛志)はどうしていたのか。この旅では能代で鬼若が行方不明となり、青森で弥七が合流したが、弥七は佐渡には同行していなかったようである。
 
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