『水戸黄門』終了は「打ち切り」か?
『水戸黄門』の終了を「打ち切り」と呼んでいいか疑問に思えてきた。
水戸黄門 打ち切り水戸黄門 打切 で検索すると終了を嘆く意見のほかに、「由美かおるの入浴がなくなったせい」とか「2001年の石坂黄門の時代に打ち切りが避けられなかった」というように「犯人捜し」に躍起になっている論調が見受けられる。しかし「打ち切り」とは例え半年の予定のドラマが3箇月で終わったような場合を言うのであって、『水戸黄門』が42年続いても「打ち切り」であるのなら、西暦2050年ごろまで80年以上も続くはずの時代劇だったのであろうか?

2011年7月半ばに終了が報道され、12月に終わる予定とされて、そのとおり、12月12日に1時間枠の第43部が終了し、翌週の12月19日に最終回スペシャルもあったのだから、「打ち切り」ところが予定どおりの話数で終わったと見なすべきだろう。
石坂黄門を終了の原因とする意見もあるが、その石坂黄門の時代から里見黄門になって終了するまで、『水戸黄門』が10年続いたのだから、石坂黄門は『水戸黄門』を終わらせたのでなく、逆に終了を10年伸ばした功労者と考えるべきだ。むしろ20世紀末で終わっていたはずの『水戸黄門』が石坂・里見黄門のお陰で2010年代まで延命されたと考えるべきであろう。
 
『水戸黄門』終了を「打ち切り」と呼ぶ人は、42年の43シリーズでの終了は早すぎる、短すぎるという前提で考えているのだろう。では「打ち切り」がなければ『水戸黄門』はいつまで続くべきだったのか。「打ち切り」とする人は『水戸黄門』があと何年続くべきだったか、考えを示すべきだ。
 
2011年8月5日の読売新聞の記事「『家族』変容 水戸黄門に幕」でこう書かれてある。
 
 今月(2011年8月)2日、東京都港区のTBS本社を、旧水戸藩ゆかりの茨城県の水戸、常陸太田、那珂3市の市長や議長らが訪れた。
 「地域の観光振興にも大きな影響が及ぶので、継続に向けて再度検討を」という3市長の訴えに、TBSの難波一弘・編成制作局長は「打ち切りでなく、全国のファンに惜しまれつつ終了することが引き際として重要」と、余力のあるうちの幕引きを強調した。
 
TBSの難波一弘・編成制作局長は「打ち切りでなく、全国のファンに惜しまれつつ終了すること」だと言った。つまり『水戸黄門』終了は「打ち切り」ではないのである。
『レガッタ』は5%前後で「打ち切り」となった。『水戸黄門』は終了間際で10%前後だったが、過半数が高齢者だとすると、若者層を狙うパナソニックにとっては『水戸黄門』は視聴率5%弱の番組と同じだったわけだ。しかし「打ち切り」はあくまで「予定より早い終了」であり、『水戸黄門』はその逆、「予定より遅い終了」だったわけだ。
 
『水戸黄門』は42年、43シリーズで終わったが、もともとこの番組が45周年や50周年まで続ける予定だったわけではないだろうし、いつまで続けるか公式に示されたわけではないはずだ。いつ終わってもおかしくなかった。これでは「打ち切り」ではないだろう。
 
今思うとどうでもいい気がするが、水戸黄門終了は「打ち切り」か疑問に思ったこともあった。水戸黄門の終了を「打ち切り」と呼ぶ人は「水戸黄門はもっと長く続くはず(べき)だった」という前提で考えているのだろう。
 
 
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2012年5/25 5月
 
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