博打に狂った男(油屋栄三郎?)が店も女房も賭けて、それで負けてしまう。
証文に拇印が押される場面があり、元号か干支が書いてあったかもしれないが、そこだけ見逃した。一度見逃すともう確認はできない。
 
2011年7月にテレビが地デジになったことで、衛星放送は見られるようになったが、録画ができなくなった。
テレビというのは放送しているときにテレビの前にいて画面に目を向けていないと見られない不便さがある。
テレビを見ないでパソコンでやりたいことややるべきことがある場合、そのときに番組があっても負担になるだけだ。
 
録画ができるようになっても、第何話のどの話で時代設定が確認できるかわからないし、大量に録画すると容量の限界にぶつかって新たな問題が出ることは、VHSのときに経験済みだ。
 
また、朝、昼、夕方の時代劇の再放送は老人向けの食品や薬や保険のCMだらけなので、そんなのばっかり見させられると生きる気力がなくなってしまい、そのときだけテレビを見る気がしなくなり、ついにはテレビで見る気もなくなる。
そんなわけでドラマやアニメはもうテレビで見る気がしなくなっており、TSUTAYAでレンタルされるかBOOK OFFで安値で出回るのを待つ状態である。
 
子供のころは何曜日の何時から何があるということを覚えていて生活のリズムをテレビに合わせていたのだが、それもなくなった。チャンネルが増えた分、何曜日の何時から何チャンネルでどんな番組があるか、まるで頭に入らなくなった。
 
さて、『仕事屋』の時代設定は劇中から確認できない(できるチャンスがあってもテレビの性質上、それは不可能)ので、推測してみる。
鍵になるのは『必殺商売人』と『仕事人大集合』である。
 
『仕事屋』最終回で半兵衛が江戸から去ったあと、おせいは『商売人』で主水と組み、『大集合』によると半兵衛は旅先で秀と組んだ。
『商売人』は中村主水が前期の裏稼業・仕置人から後期の裏稼業・仕事人になるキャリアの中で仕置人時代の末期、仕事人になる直前の話である。
主水が仕置人だったのは『仕置人』『仕留人』『仕置屋』『仕業人』『新仕置人』『商売人』の時期だ。そのあと、主水は仕事人になっている。
その仕置人から仕事人までのプロセスは、文化・文政と天保~嘉永と幕末で3種類存在し(寛政以前にも点在していた可能がある)、それぞれ文政の主水、天保の主水、幕末の主水、それ以外の時代の主水が活動したと考えたほうがわかりやすい。
 
『仕留人』は主水が『仕置人』時代の半次、おきんと再会する場面で始まる。
『仕置屋』と『商売人』の第1話では裏稼業をする者が「仕置人」と呼ばれていた。
『仕業人』は『仕置屋』で市松と印玄とおこうを失った主水と捨三が
 
文政の仕置人は『仕置人』『新仕置人』で描かれ、天保の仕置人は『仕置屋』で、幕末の仕置人は『仕留人』で描かれた。
同様に文政の仕事人は例えば『春雨じゃ、悪人退治』『仕事人2007』で描かれ、天保の仕事人は『仕事人アヘン戦争へ行く』『仕事人vsオール江戸警察』で描かれ、幕末の仕事人は『ブラウン館』『大老殺し』『横浜異人屋敷』で描かれたというわけだ。
 
『商売人』では河内山宗春芦屋雁之助が演じたようなので、これは文政年間になるだろう。
文政の仕置人(『仕置人』『新仕置人』)と文政の仕事人(『春雨』など)の間の時期と思われる。
 
一方、天保時代を採用すると天保の仕置人(『仕置屋』)と天保の仕事人(『江戸警察』など)との間になる。
『仕事人大集合』は主水の仲間が秀・勇次・加代・おりくで、順之助が参加する前であり、『新仕置人』の虎と『からくり人』の天平が再登場している。この場合、主水が長崎で鹿蔵の仇を討ったのは、初代からくり人グループが壊滅してから主水の仕事人グループに順之助が参加するまでの間である。
 
初代からくり人壊滅は1839年の蛮社の獄が切っ掛けであり、順之助は1842年にアヘン戦争が終わったときには主水や秀たちと組んでいたので、『大集合』は1839年と1842年の間と推定できる。
『仕事人大集合』は『新必殺仕事人』と『仕事人III』の間の話で、『新仕置人』最終回で主水・秀・勇次・加代・おりくのグループが一度解散したあと、江戸から長崎に向かう道中で再結集し、江戸にもどってから順之助が加わる前の話だ。
 
『大集合』では敵の手に落ちた勇次を仕置人・棺桶の錠が救い出しており、劇中で描かれていないが主水と再会したはずだ。錠はバタビア(当時のオランダ領インドネシア)に行ったはずだが、『仕事人III』で順之助が参加したあと、『仕事人アヘン戦争へ行く』で主水グループが香港へ行く前に、錠が日本に戻っていて、主水たちに加勢していた。これはアヘン戦争の終結した1842年の話である。
 
しかも『仕置屋』で主水が北町から南町奉行所に移ったのが1841年末または1842年初めの鳥居奉行就任のときとすれば主水が長崎に行ったのもその時期だろう。
 
幕末の場合、「仕留人」の解散が1854年で、『大老殺し』で主水が仕事人だったのが安藤広重の晩年の1858年から桜田門外の変のあった1860年までとすると、幕末の主水が商売人として活動したのは1854年から1859年までの安政年間になる。
 
『仕事屋』も文政、天保、幕末の3種に分かれると考えていいだろう。
 
ところで、『仕事屋』の政吉(演:林隆三)はおせいの息子だったが、『商売人』では髪結いの新次(演:梅宮辰夫)がおせいの元夫であったから、新次が政吉の父親か、そうでなければ義理の父親ということになる。
 
前後一覧 
2012年5/23前後 5/25 
 
関連語句
仕事屋(タイトル検索) 仕事屋 [1][4] [5](内容検索)

参照