劇中で、のび太が昼寝中のドラえもんの顔に落書きしたのだが、ドラえもんが「あとからアルバム」で突き止めた場面で、年月日の年と月が明らかになっており、1983年8月某日である。また「月」の次の字の一部から8月2日か3日か7日と思われる。
「あとからアルバム」の機能は「タイムテレビ」か「いつでもどこでもスケッチセット」に近い。
ネットで調べると「あとからアルバム」の話は『小五』1983年9月号掲載らしく、発売(發賣)は同年8月であろう。
のび太が1983年8月7日で11歳であれば1972年生まれであり、1983年8月7日で10歳なら1973年生まれである。
2012年の誕生日で39歳または40歳であるから、1980年代初めののび太は2010年代初めののび助・玉子と同世代ということが改めてわかる。
「あとからアルバム」でのび助は小学生のころに全国図画コンクールで金賞を受賞したものの、そのときの写真が戦争の空襲で焼失したと述べていた。
のび太は「あとからアルバム」でそのときの写真を復元した。
のび助は劇中で36歳ないし38歳の設定であることが多く、玉子は38歳とされている場合もあるが、西暦何年で38歳なのかは、作品によって異なる。
まず、小学生のときに受賞して写真が戦争で焼失したということから考えてみる。
のび助が6歳で受賞し、それが1945年の「終戦」直前だったと假定すると、のび助は1939年生まれ。
1969年で30歳、1975年で36歳、1977年で38歳、1979年で40歳、1983年で44歳である。
つまり、「あとからアルバム」ののび太は1972年か1973年生まれで、のび助は1939年までに生まれたことになる。
次に「地下鉄をつくっちゃえ」で1974年当時ののび助が36歳だったことから推定して観る。
この場合、のび助は1938年生まれだから、1983年当時では45歳になる。
「地下鉄~」ののび助は「あとから~」の時代には45歳だったわけだ。
では「あとから~」ののび助が1983年当時で36歳だったと假定すると、1947年生まれになるので、戦後世代であり、受賞したときの記念写真が戦争で焼失というのはありえない。
先代のび助ののび太、のび太とノビスケ(2世?)の年齢差は、タイムマシンで何年先に行くか、または何年さかのぼるかによる。
1977年の「りっぱなパパになるぞ!」では、ノビスケ(息子)がのび太少年と同じくらいの子供だったのは25年後の2002年であった。
1970年の「白ゆりのような女の子」では、のび助(父)がのび太と同じくらいの年齢の子供だったのは25年前の1945年だった。
「この絵600万円」では1972年または1974年でのび太が小学生で、それから23年前か25年前のとき、のび助(父)は中学生だった。すると「この絵~」の歴史観ではのび助(父)とのび太の小学生時代は30年以上離れていたことになる。
「夢まくらのおじいさん」でものび太はのび助(父)が自分と同じくらいの年齢だった時代に行く場合、25年前でなく30年前の時代に向かった。
2012年の映画『のび太と奇跡の島』でも、のび太の少年時代から30年前がのび助(父)の少年時代で、『小二』春増刊号では2012年と1982年として説明されている。
『奇跡の島』ののび助(父)が1982年当時で11歳だったとすると1971年生まれであり、1983年当時の「あとから~」ののび太と1歳~2歳違うだけである。
なお、1989年の映画『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』では、のび太と静香が大人で、ノビスケが10歳か11歳くらいの少年になっている近未来画2011年の設定であった。これは映画公開当時から22年後である。
この場合、のび太と静香が1989年当時で11歳だったとすると1978年生まれであるから、2011年当時で33歳。一方のノビスケ(息子)たちは2011年で10~11歳とすると2000年か2001年生まれである。