小泉純一郎がやった改革というのは本来、小泉純一郎が自民党から離党して野党として政権を獲得してやるべきものだった。しかし純一郎氏は自民党の保守的な勢力を追いだし、自民党の屋根の下で反自民的な改革をした。
 
もし革新が左翼で保守が右翼という定義に從うなら、自民党が改革を叫んで時点で、自民党が左翼政権になってしまった。護憲をかかげる社民党や共産党が保守で右翼政党になっている。
 
すると改革を掲げた自民党が下野したのも時間の問題だった。
しかし民主党政権も自民党の先を行く改革を実現できず、改革しそうなのは消費税増税くらいだ。
よく考えたら消費税現状維持は保守だが、消費税廃止も減税も増税も革新だから、保守か革新の線引きも無意味である。
 
護憲か改憲かの二者擇一も単純すぎる話で、改憲にしても自衛隊を国軍にする改憲案と自衛隊を廃止する改憲案では方向性が180度違う。
そもそも護憲は保守の考えることで、改憲案は革新政党から出るべきものだ。
自衛隊が合憲であって、その状態がまともなら、改憲の必要はない。
自衛隊が合憲であって、その状態が間違いなら、憲法を改正して、「自衛隊が違憲となる新憲法」を作るのが筋だ。
自衛隊が違憲である状態はまともでないが、その場合、選擇肢は、憲法をそのままにして自衛隊を廃止するか、自衛隊をそのままにして憲法を改正するかどちらかしかない。
そうなると改憲論は「自衛隊は合憲だが存在してはならない」と主張する人か、「自衛隊は違憲」と主張する人から出るのが当然である。「自衛隊は必要でかつ合憲」とする勢力は改憲案を出す必要はないのである。
 
旧社会党は「自衛隊は違憲」または「自衛隊は違憲合法」(石橋委員長時代)と言っていたはずだが、「村山談話」の本家本元である村山富市は首相になった途端に「自衛隊は合憲」と認めた。その背後にいたのが当時の議長だった土井たか子であった。
今の福島みずほ(瑞穂)代表のもとで社民党は自衛隊を合憲としているのか違憲としているのかわからない。自衛隊は阪神大震災のときと比べると、東日本大震災では活動が感謝されるようになった。宮沢・海部内閣では自衛隊が海外に出るだけで大騒ぎだったのに、今では自衛隊の海外での活動も評価されている。
 
自衛隊が建前上、合憲であるなら、自衛隊を嫌がる人たちこそ改憲案を出すべきであったが、それをしなかったのは怠慢である。
日の丸・君が代もこれらを嫌がる人たちが国旗・国歌法案を提出していないのが問題だ。嫌がる人たちは以前、これらを国旗・国歌とする法的根拠がないと言っていたから、小渕内閣が法的根拠を議決した。このとき反対派は別の旗や歌を国旗・国歌とする案を出すべきだったのに、それをしなかったとすれば、反対派の怠慢であろう。
 
アウンサンスーチー(下注釋)氏はミャンマーの改憲を要求し、最初は憲法を順守(遵守)することを宣言することに難色を示して、国会に登院するのを拒んでいたが、結局、出ることになった(検索)。たとえ改憲派でも改正が成立するまでは改正前の憲法を守るのが筋だからこれは妥当だ。今の日本の改憲派も現行憲法の手続きに從って改憲を進めている。一部で今の昭和憲法が無効だと考える人たちもいるだろう。その人たちの解釋では今でも明治憲法だけがまもる(下注釋)に値する憲法ということになる。
一方で、今の日本の国旗・国歌法に反対している人たちは、まず法律の改正案を出すべきで、それが多数決で通るまでは現行の国旗・国歌法をまもるべきなのに、代案も出さず今の法律や条例を無視している(ように見える)のだから、法治国家の有権者としては問題である。
ところで憲法改正論議が盛んなのに、昭和憲法より古い一般法はまだ多いのだろうか。むしろ一般法の中で時代に合わない物をどんどん改正すべきだろう。
 
小泉純一郎が進めた構造改革は今では批判されているが、当時の国民が熱狂的に歓迎したのを忘れてはならない。むしろ規制緩和は1993年の細川政権のときには政権の政治改革のテーマだったと思うし、当時、一般国民も「終身雇用の廃止」を求め、自由に就職や轉職ができる非正規の時代を求めていたはずだ。それは企業が自由に社員を解雇できる世の中に相当する。
 
東電は民間企業でありながら競争がないので勝手に値上げしている。では競争原理を取り入れたら、関越自動車道のバス事故のように、安値競争で安全がぎせいになる。規制を緩和すれば安全がおろそかになる。また安値の航空会社が盛んだが、その会社が車椅子の乗客の搭乗を拒否した例もあった(検索)。入口などのサイズの問題だったと思う。
「あゝ上野駅」の歌がヒットした時代、会社は上京してきた若者を住み込みで働かせていた。さらに『ブラックオード』第1夜で描かれた終戦直後の日本では、民間の工場長が孤児たちを集め、仕事を教えて食事を与えていた。学校に教師が孤児たちを学校に通わせようとしても通用しなかった。その孤児たちにはその工場が学校であり、家であった。
今では大学を出ても就職できない若者が多い。子供たちは登下校で車にひかれて命を落とす始末だ。集団登校が危険のように見えるが一人でもなおさら危険だ。一人で横断歩道を渡って車にひかれるケースもある。
 
もはや学校制度を見直したほうがいい。入学を秋にする程度では根本的改革ではない。
また、資本主義経済の問題点がこれだけ明らかになっているのに、日本で社民党も共産党も勢いがないのはどういうことか。
 
 
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2012年5/1~4 5/4
 
関連語句

注釋
アウンサンスーチー
英語の新聞でAung San Suu Kyiなので「アウンサンスーキー」と読みたくなるが、KyiのKyは口蓋化しているのだろう。Cが本来はKを著しながら口蓋化している例がある。
シナ語の「翁山蘇姫」や「昂山素季」「昂山素姫」といった音譯字は最終音節のKyiを「姫」や「季」であらわしており、K音の口蓋化が北京語のそれと一致している。
 
まもる
「憲法をまもる」の「まもる」は「守る」か「護る」かという問題がありそうだが、もともと和語を中国文字で書くこと自体に無理がある。「まもる」で変換すると「衛」も出るが、「守護」「護衛」「守衛」というように熟語になる。
和語としては「まもる」は1語である。それをシナ語に譯すと「守(shou)」「護(hu)」「衛(wei)」になるというだけの話だ。
シナ語で「法律を守る」は「遵守法律(zunshou falü)」になるようだ。日本語で「じゅんしゅ」が「遵守」のほかに「順守」とも書かれるのは「遵」が「常用外」だからかと思ったが、そうでもないらしい。

参照