京都・亀岡市の集団登校事故で警察が被害者の連絡先を加害者の親に教えたらしい。
携帯電話番号は、被害に遭った女の子が通っていた学校の教頭が教えたらしい。
個人情報保護と称して連絡網もなくなり、孤立死が増える中で、こういう慎重になるべき情報の保護がおそろかになっているようだ。加害者の親が被害者の親族に謝罪の電話をするにしても警察を通してからすべきだろう。
さて、ここで考えてみた。
『忠臣蔵』で有名な元禄赤穂事件に置き換えてみると、加害者の親族が被害者の連絡先を知ろうとするのは、大石内蔵助ら赤穂浪士47名が吉良上野介の居場所を知ろうとしたのと同じだ。松の廊下の事件では浅野内匠頭長矩が加害者で、吉良上野介義央が被害者だったからだ。從って今回の京都府警と小学校の教頭がしたことは、喩えて言えば、松の廊下の事件のあと、奉行所の同心が赤穂浪士に吉良の居場所を教えたようなものだ。
もちろん、実際の元禄赤穂事件のときにはこんなことはなかっただろうし、赤穂浪士は自力で吉良の居場所を突き止めたであろう。だが、もし、実際に奉行所の同心が吉良の居場所を赤穂浪士に口外したら、吉良の縁者たちは激怒しただろう。今回、事故の被害者であった女性の夫や父親が、警察に激怒したのもわかる。
ただ、元禄赤穂事件の場合、赤穂浪士は吉良の居場所を突き止めようとしても、それは赤穂の主の不始末を吉良に謝罪しようとしたのでなく、逆恨みで被害者の家を襲撃しようとしていたのだから、始末が悪い。
また『忠臣蔵』で赤穂浪士の討ち入り計画を知ってそれを見逃した、あるいは協力した(何らかの形で吉良の動向を赤穂浪士に知らせるなどした)者は「“義士”に協力した善玉」とされることが多いだろう。今回の京都府警による「不祥事」が出た理由も「被害者と加害者の関係」についての考え方が人によって異なるからであろう。
祇園で起きた事故と合わせて、歩行者がどうやって「暴走する車」から身を守るかという議論は深まっていない。
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