1985年当時、ある人物が全斗煥政権の韓国で、石川啄木と日韓併合について講演したとき、当時、天皇(当時は昭和天皇)が併合に対し遺憾の意を示したことについて、韓国の学生らしき人は「日本の天皇のことばは日本国民全体の総意ですか」と訊いてきたらしい。韓国では日本の天皇を「日王」il-wang と呼ぶが、おそらくその韓国人学生は、日本の天皇が併合を少しでも否定的に言った意見が日本国民の総意であると願っていたのだろうが、戦後の日本が民主主義国家であえば、「天皇陛下の御意」に賛同する人もいれば意見が違う人もいるのが当たり前で、「総意」であることを期待するだけ無理である。日本が北朝鮮のような独裁国家であれば天皇の「おことば」がそのまま大日本帝国臣民の建前の「総意」になっていたであろうが、そういう社会を否定したのが戦後の日本だったわけだ。
日韓併合は日本の敗戦によって35年ほどで終わったわけだから、その1世紀前の併合の時代について今の日本人が否定しようが肯定しようが、今の朝鮮人にさしたる影響はない。
 
日韓併合の目的は北東アジアの安全確保であって、今の日本はアメリカ、韓国と連帯してそれをやっているわけだから、目的は一部達成している。むしろ南韓(南朝鮮)が北韓(北朝鮮)をいまだに併合できないことのほうが、拉致や核などの問題を引きずっているわけで、日本が過去の併合をどう思うかより、韓国が今の朝鮮半島をどうするかが重要だ。
また、日本が韓国を併合したのは新羅が百済や高句麗を併合したのと同じく、地球上の国境を少なくすることである。全世界の国境をなくして「世界連邦」または「地球連邦」を作ることをまるで理想のように夢見る人はまだ多いようだ。しかし日韓併合のように、ある国がすぐ隣りの国との国境をなくすことは批判されるようだ。これでは国境をなくすことが本当にいいのかどうか疑ってみる必要がある。
 
なお、石川啄木は日韓併合の2年後の1912年に26歳(おそらく満年齢)で没したので、2012年は没後100年で、生誕は西暦1886年(下注釋)である。1985年当時は啄木生誕100年の1986年を目前にした時期だったことになる。
啄木は「地圖の上 朝鮮國にくろぐろと 墨を塗りつつ 秋風を聽く」という短歌を遺している。
最近、日本のニュースで115歳の高齢の老人が紹介されたが、この老人は1897年生まれ(下注釋)と思われる。すると啄木より11歳年下である。
 
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2012年4月
 
関連語句

注釋
西暦1886年
啄木はこの年に生まれた。1883年に天璋院篤姫が没しており、翌年に徳川家第16代当主・家達(いえさと、1863~1940)の息子・家正(いえまさ)が生まれている。1885年に岩崎弥太郎没。
啄木の没年である1912年は明治45年であり、大正元年であると当時に中華民国元年でもある。
2011年は辛亥革命(1911年)から100年であると同時に中華民国100年でもあった。大正元年から45年前は慶応3年で、江戸時代だったわけだ。
 
1897年生まれ
『キャンディ・キャンディ』のキャンディス・ホワイトは第1次世界大戦(1915年前後)の時代で16歳になっていたらしく、西暦1900年より少し前に生まれたとすると年齢が近い。
『おしん』の主人公のおしんと『はいからさんが通る』の花村紅緒は1900年か1901年に生まれたようなので、やはり年齢が近かった。
1985年当時の『ドラえもん』の原作「ハリーのしっぽ」に登場したのび太の曽祖父・のび吉も1910年当時で10歳だったとするとほぼ同世代になる。清国の最後の皇帝・溥儀は1906年生まれなので9歳年下で、啄木より20歳下。

参照