『ドカベン』の劇中時代設定(推定を含む)による年表
(1956年?) 7月、土井垣将誕生(1974年度で高3)
1958年 原辰徳誕生(『ドカベン』無印、高1夏の山田太郎と同学年)
(1958年?) 5/5、山田太郎誕生(1974年5/5で16歳の場合、基準は高校入学時、ドカベン無印
(1959年?) 4/1、岩鬼正美誕生(1975年4/1で16歳の場合、基準は高校入学時、ドカベン無印
1962年 5/5 山田太郎誕生(1979年5/5で17歳の場合、基準は弁慶高校戦
1963年 4/1 岩鬼正美誕生(1979年4/1で16歳、80年4/1で17歳の場合、基準は弁慶高校戦)
1967年 8/18、清原和博誕生
1976年 5/5、岩鬼正美誕生(『大甲子園』、1985年度で高3の場合)
1968年 4/1、桑田真澄誕生、岩鬼正美誕生(『大甲子園』、1985年度で高3の場合)
『大甲子園』の山田太郎は1985年で18歳とすると推定1967年生まれで桑田・清原と同学年)
(1968年?) バスの事故(太郎10歳の年、無印
1972~73年 山田太郎中2、鷹丘中学に轉校、柔道部に入る(無印
1973年春 サチ子が小学校入学。山田太郎が中3に(無印
1973~74年 鷹丘中学野球部が東郷学園に敗れる(巨人V9時代の森捕手が現役、無印
1973~74年 山田世代誕生(『新潟明訓vs神奈川明訓』の場合、91年度高3)
1974年 1/29、小林幹英誕生
(1991年に新潟明訓と対戦した神奈川明訓の山田太郎は推定1973年5/5生まれ、岩鬼は74年4/1生まれ)
1974年 春、山田太郎が明訓高校に入学。監督は徳川、主将は土井垣(無印
(『ドカベン』無印の山田太郎は1974年で18歳とすると1958年生まれ)
『ドカベン プロ野球編』の設定による年表、ここから開始
1974年 7月、土井垣将誕生(『プロ編』、92年度高3)
1974~75年 『新潟明訓vs神奈川明訓』の渚、高代誕生(91年度で高2、無印
1974年 夏の神奈川県大会で白新、東海を破る(無印
1974年 夏の甲子園(第56回全国大会)で通天閣、土佐丸、いわき東を破って優勝(無印
1975年 里中が故障、山田が里中に逆療法を勧める(高1秋)。野村克也プロ22年目(無印
1976年 5/5、山田太郎誕生(『プロ編』)
1976年 6/8、城島健司誕生(『プロ編』の山田世代と同学年)
1977年 4/1、岩鬼正美誕生(『プロ編』)
1976年(単行本初出時期から推定) 秋の県大会、微笑三太郎参加、横浜学院と対戦(無印
1976年(〃) 徳川監督辞任、土井垣監督就任。優勝旗盗難事件(無印
1977年(〃) 秋の関東大会、甲府、クリーンと対戦、山田が一時記憶喪失(無印
1977年(〃) 秋の関東大会、決勝で赤城山を破る(無印
1977年(〃) 秋のドラフト、日ハムが土井垣を、南海が犬飼小次郎を指名(無印
(春のセンバツ前の甲子園での山田の打撃練習を田淵と掛布が見学)
1977~78年(〃) 高校2年春センバツ、江川学院の中(あたる)が山田を5打席連続敬遠(無印
1977~78年(〃) 高校2年春センバツ、徳川監督率いる信濃川と対戦(無印
1978年(〃) 高校2年春センバツ、土佐丸と対戦(無印
(殿馬の打球を捕球した犬神がラッキーゾーンに落ちてHR)
1978~79年(単行本初出時期から推定) 夏の予選、渚と高代が参加(無印) 
1978~79年(〃) 東海戦で里中復帰。吉良高校の無手勝流が続く(無印
(山田の打球を捕球した雪村がスタンドに落ちてサヨナラHR)
1978~79年(〃) ハイジャック事件で殿馬負傷、白新戦で不知火「ハエボール」(無印
1979年(〃) 明訓が横浜学院に辛勝、弁慶高校の武蔵坊と義経が観戦(無印
1977?~1979年(〃) 夏の甲子園で明訓がブルートレイン学園と対戦、関東勢同士(無印
(1978年から2006年までは初日で東西対決なので関東勢同士は不自然)
1979年(〃) 明訓が弁慶に敗れる。客席は満員で余った客はラッキーゾーンに(無印
(無印『ドカベン』の山田が1979年当時17歳なら1962年生まれ、土井垣は1979年当時19歳なら1960年生まれ)
1979年(〃) 土井垣が日ハム(大沢監督)に、小次郎が南海(広瀬監督)に入団(無印
(この時点で野村克也は西武ライオンズ所属)
1979年(〃) 夏の甲子園決勝で通天閣が甲府を破る(無印
1979~80年(〃) 高2秋、太平監督就任。香車、上下、蛸田が参加(無印
1980年(〃) 高2秋、痩せた雲竜が風の又三郎となって復帰(無印
1980年(〃) 高2秋、白新戦、打者・岩鬼が失恋で死球、代走の香車が快速で得点(無印
1980年(〃) 高2秋、東郷学園(徳川監督、小林投手)との試合が雨で流れる(無印
1980年(〃) 高2秋、中山畜産と対戦(無印
1980~81年(〃) 高3春センバツV。里中が休学(無印
1982~87年(中西球道の記録と連載開始時期から推定) 『大甲子園』の山田太郎高3
1982年? 中西が奪三振数で新記録(『大甲子園』第19巻)
(『大甲子園』の連載時期は1983~87年だが中西球道の記録を考えると1982年もありうる)
1982~87年(〃) 高3夏予選、横浜学院を破る(大甲子園
1982~87年(〃) 高3夏予選、里中復帰、横浜球場で白新と対戦(『大甲子園』) 
1982~87年(〃) 高3夏、里中復帰、横浜球場で白新と対戦(『大甲子園』
(岩田鉄五郎と五利監督が観戦、このときは東京メッツが存在し、鉄五郎は現役、『大甲子園』
1982~87年(〃) 高3夏、巨人学園が予選V。青田高校がクリーンを破る。水原勇気が観戦(『大甲子園』
1982~87年(〃) 高3夏、甲子園で室戸学習塾を破る。光高校が南波を破る(『大甲子園』
1982~87年(〃) りんご園農業高校を破る。「山田がロッテオリオンズを逆指名」報道(『大甲子園』
(阪急ファンらしき人たちが練習中の山田に罵声)
1982~87年(〃) 巨人学園と対戦(『大甲子園』
1982~87年(〃) 甲子園で明訓と青田高校が対戦、延長再試合(『大甲子園』
(日ハムの土井垣が後楽園球場でテレビ観戦)
1983年 春、太郎が小学校入学、まず相撲部に(『プロ編』)
1983年夏? 中西球道が9連続奪三振を達成(『大甲子園』第17巻)
1984年(太郎10歳でサチ子2歳として推定) サチ子誕生(『プロ編』)
1986年 4月ごろ、バスの事故(太郎は9歳11箇月くらい)、太郎は野球を始める(『プロ編』) 
1990年 山田太郎中2、鷹丘中学に轉校、柔道部に入る(『プロ編』)
1991年春 サチ子が小学校入学。山田太郎が中3に(『プロ編』)
1991年 高3夏、地区予選前に神奈川明訓が新潟明訓と練習試合(番外編『新潟明訓対神奈川明訓』)
└→山田太郎1973年5/5生まれ、岩鬼正美1974年4月1日生まれ。
(1991年夏、新潟明訓が甲子園初出場、『プロ編』の山田太郎は中3、土井垣は高2)
1991~92年 鷹丘中学野球部が東郷学園に敗れる(『プロ編』)
(1992年から甲子園球場のラッキーゾーン撤去。ロッテが千葉ロッテマリーンズに)
1992年 春、山田太郎が明訓高校に入学。監督は徳川、主将は土井垣(『プロ編』)
1992年 夏の神奈川県大会で白新、東海を破る(『プロ編』)
1992年 夏の甲子園で通天閣、土佐丸、いわき東を破って優勝(『プロ編』)
(1992年夏の甲子園で松井秀喜が5打席連続敬遠される)
1992年 里中が故障、山田が里中に逆療法を勧める(『プロ編』)
1992年 秋の県大会、微笑三太郎参加、横浜学院と対戦(『プロ編』)
1992年 徳川監督辞任、土井垣監督就任。優勝旗盗難事件(『プロ編』)
1992年 秋の関東大会、甲府、クリーンと対戦、山田が一時記憶喪失(『プロ編』)
1992年 秋の関東大会、決勝で赤城山を破る(『プロ編』)
1992年 秋のドラフト、日ハムが土井垣を、ダイエーが犬飼小次郎を指名(『プロ編』)
1993年 開幕前のダイエーの紅白戦に犬飼小次郎が参加?(『プロ編』)
1993年 高校2年春センバツ、江川学院の中(あたる)が山田を5打席連続敬遠(『プロ編』) 
1993年 高校2年春センバツ、徳川監督率いる信濃川と対戦(『プロ編』)
1993年 高校2年春センバツ、土佐丸と対戦(『プロ編』)
(この時期だと殿馬の打球を捕球した外野手・犬神がスタンドに落ちても殿馬はアウト)
1993年 夏の予選、渚と高代が参加(『プロ編』) 
1993年 東海戦で里中復帰。吉良高校の無手勝流が続く(『プロ編』)
(この時期だと山田の打球を捕球した東海高校の雪村がスタンドに落ちても山田はアウト)
1993年 ハイジャック事件で殿馬負傷、白新戦で不知火「ハエボール」(『プロ編』)
1993年 明訓が横浜学院に辛勝、弁慶高校の武蔵坊と義経が観戦(『プロ編』)
1993年 夏の甲子園で明訓がブルートレイン学園と対戦、関東勢同士(『プロ編』)
(1978年から2006年までは初日で東西対決なので関東勢同士は不自然)
1993年 明訓が弁慶に敗れる。ラッキーゾーンは前年から存在しない(『プロ編』)
1993年 土井垣が日ハム(大沢監督?)に、小次郎がダイエーに入団(『プロ編』)
1993年 夏の甲子園決勝で通天閣が甲府を破る(『プロ編』)
1993年 高2秋、太平監督就任。香車、上下、蛸田が参加(『プロ編』)
1993年 高2秋、痩せた雲竜が風の又三郎となって復帰(『プロ編』)
1993年 高2秋、白新戦、打者・岩鬼が失恋で死球、代走の香車が快速で得点(『プロ編』)
1993年 高2秋、東郷学園(徳川監督、小林投手)との試合が雨で流れる(『プロ編』)
1993年 高2秋、中山畜産と対戦(『プロ編』)
1994年 高3春センバツV。里中が休学(『プロ編』)
1994年 高3夏予選、横浜学院を破る(『プロ編』)
1994年 高3夏予選、里中復帰、横浜球場で白新と対戦(『プロ編』) 
1994年 高3夏、里中復帰、横浜球場で白新と対戦(『プロ編』)
1994年 高3夏、巨人学園が予選V。青田高校がクリーンを破る(『プロ編』)
(『野球狂の詩』の平成編では1997年まで20年間、岩田鉄五郎と水原勇気は現役から退いていた)
1994年 高3夏、甲子園で室戸学習塾を破る。光高校が南波を破る(『プロ編』)
1994年 りんご園農業高校を破る。「山田が千葉ロッテを逆指名」報道?(『プロ編』)
1994年 巨人学園と対戦(『プロ編』)
1994年 高3夏、甲子園で明訓と青他高校が対戦、延長再試合(『プロ編』)
1994年秋 高3秋、山田太郎が10球団から指名される(『プロ編』の山田太郎1976年5/5生まれ)
1994年秋 高3秋、岩鬼は巨人とダイエーから指名される(1977年4/1生まれ)
1998年夏、オールスターで山田世代が小林幹英と再び対決(4年ぶりか7年ぶりか)
└→山田(当時西武)、岩鬼(〃ダイエー)、殿馬(〃オリックス)、里中(〃千葉ロッテ)、微笑(〃巨人)、小林幹英(〃広島)が出場
2004年、山田らが東京スーパースターズに入団
2012年、『ドカベン ドリームトーナメント編』開始
2017年、『ドカベン ドリームトーナメント編』が最終試合に突入
 
 
前後一覧
2012年4/17 4/18 4月
 
関連語句
単行本(1970年代) 単行本(1980~90年代~20世紀末)

参照
 
虚実ヒストリー~ものがたりの歴史~III
 
『ドカベン』中学~高校編とプロ野球編の時代設定比較年表
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