太田幸司の愛娘(息女)が宝塚に入学した。
太田幸司は1952年の早生まれで、1951年度生まれであり、『巨人の星』プロ野球編の星飛雄馬と同学年。高校卒で1970年春の開幕からプロデビューだった。
飛雄馬は高1中退で1968年のシーズンが事実上のプロ1年目で1970年が左投手時代の最終シーズン。サウスポーの飛雄馬の場合、高卒で入団した投手が1年で腕を壊して引退したのと変わりがない。
2012年4月中旬の時点で太田幸司は60歳だが、『巨人の星』プロ編の星飛雄馬も60歳か61歳である。
星飛雄馬は1969年2月~3月の宮崎キャンプの時点で満17歳で、1967年秋に青雲高校を退学していなければ1969年2月~3月は高校2年の3学期に相当する時期だった。そして1969年春のシーズン開幕で大リーグボール1号を復活させたときに18歳になっていたことが、劇中のスポーツニュースでわかる。
 
1969年夏、大リーグボール1号をオズマに打たれた飛雄馬は球宴を辞退し、二軍で大リーグボール2号開發に取り組む。このとき、ラジオでは高校野球の夏の甲子園が中継され、太田幸司が活躍していた。
1969年秋に完成した大リーグボール2号は完成のタイミングが悪すぎて、1970の開幕のときには秘密が暴かれて風前の灯火となっていた。
1970年春のオープン戦、近鉄と巨人の試合で、太田幸司は星飛雄馬と投げ合って握手。
その後、1970年に飛雄馬は大リーグボール2号を編み出すも、花形に打たれてオールスターまで失踪。後半戦で3号を編み出すが左腕を破壊して師走に失踪してしまった。
 
飛雄馬や太田幸司と同学年の山下大輔は大学卒でプロ入りし、1974年のシーズンからデビューした。
 
星飛雄馬は1976年に巨人に復帰したが、その年で25歳になっていた。
法政大学を出てから1年外遊して巨人に入った江川卓と大して変りがないし、江川は135勝しているのに対して飛雄馬の勝ち数は2桁止まりである。
 
太田幸司は1982年に近鉄から巨人に移籍したようだが、星飛雄馬は1971年から1975年まで失踪、1976年から1979年まで右投手で、1979年には引退して二軍コーチになったか(『巨人のサムライ炎』)、あるいは大リーグに移籍した(アニメ『新巨人の星II』)。堀内恒夫と比べても飛雄馬の現役生活がいかに短かったかよくわかる。
 
星飛雄馬のプロの経歴を同学年の高校球児と比べてみる。青雲高校入学は昭和41年(1966年)の設定だが、ここでは中退当時の設定に從って昭和42年(1967年)春入学と假定する。
 
1967年
高校入学
 
地区予選→甲子園準優勝
 
飛雄馬:中退、巨人入団テスト … 同学年:関東大会
 
1968年(左投手・星飛雄馬1年目)
飛雄馬:台湾キャンプ、速球を左門に打たれ失踪 … 同学年:高2春センバツ
 
飛雄馬:大リーグボール1号完成、花形風船事件 … 同学年:高2夏地区予選→甲子園
 
飛雄馬:1号を花形に打たれ、日本Sで改良、契約更改拒否 … 同学年:高2秋関東大会、2年から主将
 
1969年(左投手・星飛雄馬2年目)
飛雄馬:日高美奈と死別、大LB1号復活で一軍復帰 … 同学年:高3春センバツ
 
飛雄馬:大LB1号を打たれ球宴辞退、二軍落ち … 同学年:高3夏予選→甲子園
 
飛雄馬:大LB2号完成 … 同学年:高3秋で高校球児としては引退、ドラフト指名待ち
 
1970年(左投手・星飛雄馬3年目)
飛雄馬:大LB2号を打たれ失踪(京子編) … 同学年:プロ入りすれば1年目(太田幸司が同期)
 
飛雄馬:大LB3号を球宴で実験 … 同学年:プロ1年目の夏(球宴→後半戦)
 
飛雄馬:大LB3号で完全試合、左腕破壊 … 同学年:プロ1年目で契約更改、大学なら1年後期
 
1971年
飛雄馬:失踪中 … 同学年:高卒プロ入りならプロ2年目、大学進学なら大学2年
 
1972年
飛雄馬:失踪中 … 同学年:高卒プロ入りならプロ3年目、大学進学なら大学3年
 
1973年
飛雄馬:宮崎の日向三高を臨時コーチ … 同学年:高卒プロ4年目、大学4年
 
1974年
飛雄馬:失踪中 … 同学年:高卒プロ5年目、大卒プロ1年目(山下大輔)
 
1975年
飛雄馬:草野球代打稼業 … 同学年:高卒プロ6年目、大卒プロ2年目
 
1976年(右腕投手・飛雄馬1年目)
飛雄馬:代打、代走、右投手として巨人に復帰 … 同学年:高卒プロ7年目、大卒プロ3年目
 
1977年(右腕投手・飛雄馬2年目)
飛雄馬:投球フォーム改良、ヤクルト入りした花形と対戦 … 同学年:高卒プロ8年目、大卒プロ4年目
 
1978年(右腕投手・飛雄馬3年目)
飛雄馬:大リーグボール右1号開發 … 同学年:高卒プロ9年目、大卒プロ5年目
 
1979年(右腕投手・飛雄馬4年目)
飛雄馬1:シーズン中に巨人の二軍コーチに就任、引退
飛雄馬2:蜃気楼ボールで巨人Vに貢献、MLB移籍 … 同学年:高卒プロ10年目、大卒プロ6年目
 
もしも星飛雄馬が高校を中退していなかったら、監督の敬遠命令を拒否して左門に速球を打たれたのは高2春センバツに相当し、大LB1号開發は高2夏の予選前、1号での活躍は高2夏の甲子園、花形に打たれたのは高2秋、日高美奈との別れから大LB1号復活までは高3春センバツ、オズマに大LB1号を打たれたのは高3夏の予選の前後で、2号を編み出すための二軍期間は高3夏(飛雄馬はラジオで太田の活躍を聞いていた)、消える魔球の完成は高3秋で高校球児として引退、伴のトレードを経て2号を打たれたのは高卒直後の春ということになる。このときに飛雄馬は太田選手と対戦したわけだ。もし飛雄馬が高校3年夏の予選でオズマに大LB1号を打たれていれば、監督の命令に從って高3夏の甲子園を改良1号で乗り切っただろう。
ただ飛雄馬が2年に進級した時点で伴宙太は卒業していたし、飛雄馬高1秋の大会にも高3の伴は出場はできなかっただろう。牧場春彦による闇討ち事件のお陰で飛雄馬と伴は一緒にプロに進むことができたわけだ。ただ、高校1年中退で、プロ3年で腕を壊して失踪したので、高卒の新人がプロ1年目で引退したのと同じ結果になってしまった。
 
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2012年4/17
 
関連語句
近鉄(タイトル検索) 太田幸司 [1][3](内容検索)

参照