テレ朝の『暴れん坊将軍』では不正を働いた幕臣が「出会え」「出会え」と言って部下を集め、「上様とてかまわん」、または「こ奴は上様を名乗る偽物だ」というようなことを言って吉宗を斬るよう部下に命じ、部下は一人残らずためらうことなく吉宗に斬りかかる。吉宗は峰打ち、お庭番2名は相手を斬るから、吉宗に斬りかかった武士は助かっただろうが、お庭番と戦った武士は不幸にして絶命した可能性がある。
『暴れん坊将軍』では南町奉行の大岡忠相が協力者なので、北町奉行や火盗改から次々と悪人が出る。もはや吉宗自身の任命責任が大問題だ。
吉宗のチャンバラの相手となった「その他大勢」的な武士たちにとって上司は北町奉行や火盗改などであって、吉宗は上司の上司である。
この下級の武士たちが上司に忠義を示して、上司の上司を斬ろうとするのは、江戸時代の忠義が自分の直属の上司に対するものだったことを意味する。
NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』を観た限り、西郷隆盛と大久保利通と桂小五郎は将軍・慶喜の命を奪おうとしていたようだ。幕末の薩長の藩士には、もはや将軍に対する忠義など微塵もなかった。西郷隆盛にとって尊敬すべき主は維新の10年前に他界した島津斉彬だけであった。
江戸時代の幕藩体制はあくまで間接的な支配だった。
福島第一原發事故の直後、当時の菅直人首相が直接現場に支持をして、混乱を招いたらしい。このニュースは『暴れん坊将軍』の吉宗の手法の問題点を示している。
そして菅直人前首相の前の鳩山元首相のイラン外交は『水戸黄門』の光圀の「世直し旅」と似た二重外交、二重行政で、時代劇で描かれた水戸黄門の漫遊は、結局、中央政府(幕府)から各自治体(各藩)への命令系統などにおける手続きを混乱させ、さらに税金の無駄遣いを生むだけであった(もちろん実際の光圀はほとんど関東から出ていなかった)。
『翔ぶが如く』で西郷隆盛を演じた西田敏行が『八代将軍吉宗』では徳川吉宗を演じたのは奇遇である。
三田村邦彦は『翔ぶが如く』で慶喜を演じ、『暴れん坊将軍』の間の番組『将軍家光忍び旅』で家光を演じた。