武家のお嬢様が大奥に入り、大奥での過酷な生活に耐えかねて脱出を考え、助け人に依頼。
将軍が死んでそのむすめと侍女が依頼を一度は取り消すが桜田屋敷に移り、過酷な生活がまだ続くと判明。
20年前に先々代将軍が亡くなったとき、その側室が半狂乱状態になっていた。
むすめは文十郎に再度、脱出の補助を依頼。
脱出の過程で助け人が捕り方に追われ、龍が仲間を守って橋から川に落下。侍女も命を落とす。
助け人たちはそのお嬢様を連れて旅に出る。
 
これは奇妙である。
まず劇中で将軍が死んでいるがこれはいつのことか。
『必殺仕置人』の時代設定は文化・文政で、主水が『助け人』の「同心代疑惑」でも出ているが、文化・文政は家斉の時代で将軍が死んだことはない。
家斉は1837年に将軍職を家慶に譲り、1841年に他界しており、それは『仕事人V風雲竜虎編』の「将軍の初恋騒動!」で描かれている。
 
1616年 家康没(1605年から秀忠が将軍)
↓6年後
1632年 秀忠没(1623年から家光が将軍)
19年後(約20年後)
1651年 家光没、家綱が将軍に
↓29年後(約30年後)
1680年 家綱没、綱吉が将軍に
↓29年後(約30年後)
1709年 綱吉没、家宣が将軍に
↓3年後
1712年 家宣没、家継が将軍に
↓4年後
1716年 家継没、吉宗が将軍に
↓35年後
1751年 吉宗没(1745年から家重が将軍)
↓10年後
1761年 家重没(前年から家治が将軍)
25年後
1786年 家治没、翌年に家斉が将軍に
↓55年後(1804年から1830年までが文化・文政時代
1841年 家斉没(1837年から家慶が将軍)
↓12年後
1853年 家慶没、家定が将軍に
↓5年後
1858年 家定没、家茂が将軍に
↓8年後
1866年 家茂没、慶喜が将軍に
 
最後の将軍・慶喜は1年で将軍職から離れ、明治維新を経て大正時代まで生きたので、ここでは対象外になる。
 
ネットで調べると元禄の高田馬場の決闘(1694年)が描かれているので、1709年の綱吉死去とも考えられ、それから20年前は1789年で、家綱の死去は1780年だから29年前。むしろ30年前と言うべきだ。
先代没後20年で世を去った公方は家光である。また家治は先代家重の没から25年間将軍を務めた。
 
『江~姫たちの戦国~』では秀忠の正室・江姫が「将軍の妻が子供たちと一緒に過ごせるように」という目的で、お福(春日局)に命じて大奥を作らせたが、もしこの「解散大始末」が秀忠没から19年後の家光没年を扱っているとすると、大奥が家光の時代に地獄と化したか。
もし、この「解散大始末」が1853年の家慶没年の話とすると主水が仕留人稼業を始めた時期と一致する。「幕末の中村主水」の仕置人解散→助け人ゲスト→仕留人開始の流れに合致する。ただ、黒船来航時だとすると先々代将軍の没年は1841年の家斉没になり、これでは12年前になってしまう。
1853年に家慶が他界して家定が将軍になった過程は『龍馬伝』でも描かれた。
 
大奥の悲劇は『必殺!主水死す』で描かれており、これは黒船の2年前(1851年水野忠邦没)。
将軍の死去は『必殺仕事人V旋風編』の「主水バースになる」でも描かれた。『旋風編』で主水がオランダ商館から表彰されたのは1819年で文政2年の初めになるが、この時点では1786年の家治没から33年、1841年の家斉没まで22年であり、主水・銀平・順之助・政・お玉がこれだけ長く組んでいたとも考えにくい。
 
『必殺仕置人』放送時に起きた殺人事件の影響で、必殺シリーズが打ち切りの危機に面し、『助け人走る』と『暗闇仕留人』ではタイトルから「必殺」の2字が外され、『助け人』の主題歌「望郷の旅」の歌詞も変更され、「♪それもつかの間、俺の胸に」の次が本来は「♪汗と涙と血がまた騒ぐ」だったのがテレビでは「♪熱い明日の風が呼んでる」になっていた。しかし最終回ではスタッフが抵抗して、エンディングで辻平内たちが旅立つ場面に流した主題歌では、もとの歌詞の「♪汗と涙と~」のバージョンが流れていた。エンディングナレーションが『仕置人』で念仏の鉄を演じた山崎努の声だったのも何かの因縁か。
「同心代疑惑」での中村主水のゲスト出演、「解散大始末」では小屋にメンバーが集まってそこから解散し、バックに主題歌がそのまま流れるなど『仕置人』の最終回「お江戸花町未練なし」に近い展開となった。
 
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2012年4/9 4月
 
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