外見は『コロコロコミック』の増刊に似ており、以前はアニメ『ドラえもん』関連の特集は『小四』の増刊でやっていたが、今や『小三』から『小六』までなくなってしまった。
水戸黄門愛好会がやっている『水戸黄門』存続を求める署名はこの3月末までだが、こんな署名は意味がない。それより学年雑誌こそ署名運動で残すべきではないか。
今や教科書がヒット曲などのサブカルチャーをどんどん取り入れて学年雑誌化し、本家の雑誌の居場所をなくしてしまったのだろう。
小学館『小学二年生』増刊で藤子・F・不二雄の半生を漫画化してあり、藤本弘と堂名のヒロシ少年が1969年、1974年、1980年、1996年といった時代にタイムスリップして『ドラえもん』の歴史を見届けるSF(少し不思議)風の漫画だった。
この作品で問題だったのは1973年の日テレでの『ドラえもん』の初アニメ化を歴史から抹消していたこと。
1974年に『ドラえもん』が「さようなら、ドラえもん」で一度は終わったことについて、『オバQ』『パーマン』はアニメ化で人気が出たが、『ドラえもん』は地味な漫画だったという説明になっていた。
藤子プロ、テレ朝とシンエイ動画、小学館が意図的に日テレの『ドラえもん』の存在を「なかったこと」にしようとしている姿勢には悪意すら感じる。
この増刊号での野沢雅子のインタビューでも日テレの『ドラえもん』に対する言及はない。
ただ映画『のび太と奇跡の島』のパンフレットで、野沢雅子が「久しぶりの『ドラえもん』の現場は、とっても楽しくて、その他大勢の鳥の声も『やらせて!』って、混ざっちゃいました(笑)」とコメントしていたのは、せめてもの救いだったか。
田中敦子はパンフレットで「子どもの頃から学習雑誌で読んでいた『ドラえもん』からお誘いを受けて本当にうれしかったです」とコメントしている。
今回のパンフレットでは声優のプロフィールで西暦何年生まれかは一切かかれていない。
ちなみに1999年の映画『必殺!三味線屋・勇次』のパンフレットでは、出演者のうち、男の俳優の生まれた年は書かれていたが、女優の生まれた年は書かれていなかった。
『小二』4月号増刊では、野沢雅子と田中敦子の生まれた年は書かれておらず、生まれた月日と生まれた都県が書かれてあるのみ。一方、増刊では水樹奈々は1980年生まれ、山寺宏一は1961年生まれと書かれてあった。
ところでこの映画ののび助は何年生まれか。
のび太の少年時代には東京スカイツリーが立っており、『小二』4月号増刊では2012年の設定。
一方、30年前は1982年。
2007年の「ママのダイヤを盗み出せ」で玉子が7歳だったのは「赤いスイートピー」が出た年だとすると1982年。
一方、1980年代当時の作品では「竜宮城の八日間」でドラえもんたちが海底都市から陸上に戻ったのが1982年。
また、原作の「のび太は世界でただ一匹」のてんコミ収録版では、1981年にトキが保護のために捕獲され、その新聞記事をのび太が見ていた。
アニメでは1982年春の『のび太の大魔境』と1983年の『のび太の海底鬼岩城』の間の時期だ。
しかも『奇跡の島』は2012年の夏を描いているようだ。野比家のテレビは液晶タイプで地デジ対応のようだ。
もしダッケになったのび助が1982年当時で11歳なら1971年生まれである。
『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジは2015年で14歳とすると2012年で11歳だからのび太と同じだ。
ミサトは2015年で29歳とすると1986年生まれである。
DVD回収問題で小学館が謝罪しているが、日テレ『ドラえもん』の歴史を「なかったこと」にしていることのほうがよっぽど問題だ。
5月3日、テレ玉の『暗闇仕留人』で「世のためにて候」。「よろず評判」と呼ばれる瓦版の過剰報道が問題。おひろめの半次が退場したようで、瓦版のマイナス面が描かれている。