自分は1986年春は高校を卒業したときだったので、『のび太と鉄人兵団』の大山ドラえもん版は観ていない。
2011年の『新』公開の少し前に大長編の漫画をブックオフで買って読んだくらいである。
なお、1981年の『のび太の宇宙開拓史』も中1から中2に上がった時期の映画だったと思うので、新聞で廣告を見て、『コロコロコミック』で漫画を読んだ記憶があるくらいで、映画館では見ておらず、2009年の『新』公開直前に藤子・F・不二雄による『宇宙開拓史』の漫画を普通の書店で買って読んだ。
 
生年月日から計算すると、自分は日テレで『ドラえもん』が放映された1973年当時は保育園年長組で、てんコミ『ドラえもん』が出た1974年に小学校に入り、『コロコロ』が出た1977年当時は小4で、1979年に大山ドラが始まったときは小6で、1980年の『のび太の恐竜』公開当時に小学校を卒業し、中学生になったと思う。
『コロコロ』第1号の表紙では『ドラえもん』のほうがタイトルの文字が大きく、雑誌のタイトルが『ドラえもん』かと思ったものだ。自分は1970年代の原作『ドラえもん』世代である。
 
小学校に行けば『小一』から『小六』まで学年雑誌が揃っていた。『みきおとミキオ』『バケルくん』も観たし、朝日小学生新聞で『21エモン』、てんコミでは『新オバQ』『キテレツ大百科』もあり、アニメよりは原作で藤子作品を楽しんでいた。
大山ドラが始まった当時は一度終わったアニメの『ドラえもん』を何でまたやるのかという気分であった。
 
だから1980年の『のび太の恐竜』を除くと、1980年代と1990年代は映画ドラえもんを映画館で観ていない。
 
一方、寺本幸代監督は1976年生まれで、『コロコロコミック』創刊の1977年当時はまだ1歳だった。
1979年当時は3歳。1986年当時は10歳だったわけで、完全に1980年代半ばの大山ドラ世代であろう。
 
寺本監督より数年年上で、1980年春の『のび太の恐竜』のときに小学校に入った人たちは1986年の『のび太と鉄人兵団』公開のときに小学校を卒業した。
一方、『のび太の恐竜2006』公開のときに小学校に入学した子供たちは、2012年の『のび太と奇跡の島』公開の春で小学校を卒業し、2012年4月から中学生になる。
 
1979年春の大山ドラ開始から7年たった1986年春に『のび太と鉄人兵団』が公開された。
同様に2005年の水田ドラえもん開始から7年たった2012年に『奇跡の島』公開。
ドラえもんの声優交代から7年が経過したわけだ。
 
当然のことながら、交代当時の小学生は今では中学生から大学生までになっている。
小学生は満6歳から12歳までで、6年たてば12歳と18歳の間、7年たてば13歳と19歳の間になる。
逆に6歳から12歳までの小学生は、6年前は0歳と6歳の間、7年前になると最上限は5歳以下で、まだ生まれていなかった場合もある。
 
自分の頭の中では1974年から1980年まで原作を読んだ6年間と、2005年の声優交代以降のアニメの7年が『ドラえもん』のイメージの大半を占めるようになっている。
大山ドラをリアルタイムで観たのは1979年春から数えて1年か2年になるかどうかという具合だ。
 
今回の映画に2代目ドラえもん声優・野沢雅子が参加しているのは特筆すべきことだ。
野沢雅子がドラえもんの声を当ててから7年たったのが1980年。日テレ版を観た世代はこの時期には小学校からどんどん卒業し、日テレ版を知らない世代が新生ドラえもんのファンとして加入していた。
今、それが繰り返されているのだろう。水田ドラえもんの時代になってから参加した子供たちがもう小学校を卒業するまでになっているわけだ。
 
『のび太と鉄人兵団』はロボットアニメとしては重要な作品で、日本の等身大ロボットと巨大ロボットの合体作品として歴史に残る作品と言えよう。
大長編ドラえもんで藤子・F・不二雄の遺作は1997年劇場公開の『のび太のねじ巻き都市冒険記』だったが、この作品が公開されて15年が経過している。
今の中学生は1996年の藤子・F・不二雄の没後に生まれた世代で、小学生は2000年代生まれ、小学1年生は2005年の声優交代後に生まれた世代になる。
 
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