NHKの渤海特集(ネットで確認すると2009年放送)でこういう話題があった。
飛鳥時代末期の日本は新羅と関係が悪化。
高句麗滅亡の30年後に建国された渤海は唐とも新羅とも関係がうまくゆかず、日本に使者を送った。
 
韓国教員大学教授の金恩淑氏によると渤海国は日本との連携で内外の安定を図ったらしい。
金沢学院大学の小嶋芳孝教授によると日本は唐に対抗して天皇と中心とする帝国になろうとし、新羅と渤海からの朝貢を希望し、新羅はそれに応じなかったらしい。
渤海が使者を送ってきたことは日本にとって都合よかった。
 
それで小嶋氏は番組で「日本の当時の体制にとっては非常に都合のいい形になるわけですね。渤海と新羅が長江に来る(実際は新羅は断った)、一つの帝国(日本)を作って唐に対抗できると、そういう建前上の世界を作れるチャンスということだったと思います」と語っていた。
 
シナ語の授業でこの番組が教材になっているのだが、この小嶋芳孝氏のコメントの「建前上」をシナ語にどう譯すかが議論となった(個別の語句をどう譯すかの議論はよくある)。それで「虚拟」xuni や「虚构」xugou という単語も候補に挙がり、どうも飛鳥~奈良~平安時代の日本が帝国だったという「建前」は日本という小さい島国の「虚構」「表面的なハッタリ」という解釋になっていた。
 
この小嶋氏のコメントの中で「そういう建前上の世界を作れる」は完全に無駄な一節である。前後だけ残して「一つの帝国(日本)を作って唐に対抗できるチャンスということだったと思います」でもよかったわけで、小嶋氏が古代日本の天皇制を話しながら意図的に「建前上の世界」という余計なフレーズを入れてしまったわけだ。
翻譯の場合は「建前」という日本語の単語は無視して「日本にとって渤海からの使者の来航はにほんを唐に対抗する帝国として内外に示す好機だった」とでも譯せば充分だ。
 
話の中で余計な語句を入れるとどう翻譯されるか考える必要がある。小嶋氏はどうしても日本の天皇制を「建前」で「実体のない物」と思いたがっていたのだろう。平安時代には「王家」だったこともあるか。あるシステムを「建前」と言ったせいで翻譯では「虚構」と言ったと傳えられる可能性がある。この渤海と日本の話では、日本の天皇制に関する「建前上の」というあってもなくてもいい語句が、誤解を生む危険性もある。
 
ポツダム宣言を受けた日本政府が「黙殺する」などという意味の曖昧な回答をしたため、
ignore(無視する)と譯されたことは有名な話だ。
 
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関連語句
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参照
 
 
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