渤海国はシナの農業地域と北方の狩猟社会を仲介する役割を果たしていたたらしい。
シナの農産物を北方へ出荷し、北方の毛皮などの狩猟による産物を農業地域に出荷していた。

こういう仲介的な地域の例としてシルクロードの地域がそうだが独立国としては渤海国が代表らしい。

現代においてはルーシ(Rus')号のロシア人船長でも日本海を航海するのは至難の業らしい。
渤海国が日本の使者を送ったのは727年で、当時、渤海は唐とも新羅とも関係がうまくゆかず、日本との関係に活路を見出そうとしたらしい。

日本では飛鳥時代以降、大王を天皇として日本を唐に対抗できる帝国にしようとして、新羅や渤海から日本への朝貢を希望していた。ところが新羅はそれに応じなかった。
そこに渤海が使者を送ってきて、日本にとっては好都合だったらしい。

日本では藤原仲麻呂などが新羅征伐を考えた。
神功皇后を手本にしたか、あるいは白村江の戦いのリベンジか。

ところが渤海国が唐と和解し、日本が新羅を攻撃する理由がなくなり、藤原仲麻呂も失脚したらしい。
このいきさつがNHKで紹介されたとき、日本が一方的に政治的野心で新羅を攻撃しようとしたような解説になっていたが、新羅や唐の側の原因も検証する必要がある。


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2012年2月 [1] [2]