小倉智昭は1947年生まれで『ドラえもん』の原作が始まった1969年12月の時点で22歳。話題についていけないのはこのためだろう。

 

小林よしのりは1953年生まれで、『ドラえもん』の原作が始まった当時は16歳。彼は『オバQ』『パーマン』までは観ていたが『ドラえもん』は世代的には関心を持てなかったと言っており、小林よしのりはのび太とジャイアンとスネ夫の人間関係をよく知らないらしい。

 

『空想歴史読本』の円道祥之は1960年生まれで、『ドラえもん』原作開始当時で9歳。「ドラえもん世代」のはずだが、『歴史読本』ではドラえもんは「2112年9月3日ドラえもん誕生」について述べているだけで、劇中にあるタイムトラベルについては言及がない。
1972年または1973年に小学校を卒業したあと、藤子作品には関心を持たなかったようである。

 

『空想科学読本』の柳田理科雄は1961年生まれで、『ドラえもん』原作開始当時10歳。「ドラえもん世代」のはずで、確かに『科学読本』でタケコプターについて書いているが、最初はドラえもんの体重を間違えていた。『非科学大全』でどこでもドア、『科学読本5』でドラえもんの体型と野比家、セワシの血統について述べているが、円谷特撮や東映特撮に関する記述と比較すると少ない。

 

円道祥之と柳田理科雄は藤子作品には関心がなかったようである。

 

松田聖子は1962年生まれで、早生まれなので学年では1961年度生まれだが、『ドラえもん』を観ていたと言っている。

 

『情報ライブ ミヤネ屋』の宮根誠司は1963年生まれで、若田幸一と同い年であり、宮根は「ドラえもん実写CM」のニュースにも興味を持っていたようである。
彼はてんとう虫コミックスの『ドラえもん』が出た1974年で11歳であり、この世代だと単行本で読めた世代である。

 

1964年生まれの場合、てんコミ第2巻「ぼくの生まれた日」ののび太と同い年になる。
杉田かおるは『ドラえもん』を未読だったようで、これは彼女が1974~75年の『ウルトラマンレオ』の終盤に出たように子役としてのキャリアが早く始まったせいであろう。
同じく1964年生まれの温水洋一(ぬくみずよういち)は『のび太と人魚大海戦』のパンフレットで、1974年春に「帰ってきたドラえもん」を雑誌で読んだとコメントしており、アニメも妹と一緒に観たと言っている。テレ朝のドラえもんなら1979年からで、彼は15歳で観たのだろう。
1964年生まれだと9歳の時点で1973年の日テレ版を観た人も多いだろう。

 

1966年生まれの渡辺美里は「私はもろドラえもん世代」とコメントしている。
1973年の日テレでのアニメ化当時は7歳。
1974年のてんコミ創刊当時は8歳。
1977年の『コロコロコミック』創刊当時は11歳。
1979年のテレ朝での再度のアニメ化のときには13歳で中学生になっていたわけだが、1970年代の原作の『ドラえもん』を楽しんだ世代だろう。

 

福山雅治は自らゲスト声優を志願したくらいで、1969年生まれだから『ドラえもん』連載開始の年に生まれたわけだ。
1979年のテレ朝版のスタート当時で10歳、1980年の『映画ドラえもん のび太の恐竜』では11歳だから、アニメののび太と同じ小学5年のときに『ドラえもん』の映画のスタートを目の当たりにした世代である。

 

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2012年1/29 1月