李祘こと正祖(정조)、つまり世孫は成松淵を追って馬を走らせた帰りに図画署に立ち寄った。
図画署の者は世孫も成松淵が清国の藝府司で修行することを知っていたと思っていた。普通はそうで、朝鮮の王室内の連絡ミスであり、完全な二重行政である。
図画署の者は世孫も成松淵が清国の藝府司で修行することを知っていたと思っていた。普通はそうで、朝鮮の王室内の連絡ミスであり、完全な二重行政である。
世孫は惠嬪の要請で嬪宮とともに行幸に行く。老論派の家臣も同行させた。
英祖(영조、1694~1776、在位1724~)は突然、貞純王妃(王后)のもとを訪ねた。
英祖はかつて貞純が入れた茶を飲んだ。
貞純が感謝すると英祖は「会わない理由はない」。
英祖は金亀柱を宮殿に呼べと言う。貞純は少し驚いた。
英祖はかつて貞純が入れた茶を飲んだ。
貞純が感謝すると英祖は「会わない理由はない」。
英祖は金亀柱を宮殿に呼べと言う。貞純は少し驚いた。
朴大寿とその仲間2名が酒を飲んでいて、2人の男から「税金泥棒」と罵られ、格闘して敗れた。
それを聴いた世孫は「なかなかのつわもの」。
それを聴いた世孫は「なかなかのつわもの」。
貞純が英祖を訪ねようとするといつものように叱責された。
例の2名が呼び出される。
世孫はイ・ムドクと名乗った。賭けをして世孫の護衛が負けたら世孫が土下座することに。
世孫はイ・ムドクと名乗った。賭けをして世孫の護衛が負けたら世孫が土下座することに。
『イ・サン』は日本の『暴れん坊将軍』や『長七郎江戸日記』に似ている。
高貴な身分の人が身分を隠して偽名を名乗り、庶民の本音を聴く話は東アジアではよくあるのだろうか。
そうなると日経11月4日夕刊のコラムで『水戸黄門』の人気を日本限定としているのは、少し極端かも知れない。
高貴な身分の人が身分を隠して偽名を名乗り、庶民の本音を聴く話は東アジアではよくあるのだろうか。
そうなると日経11月4日夕刊のコラムで『水戸黄門』の人気を日本限定としているのは、少し極端かも知れない。
成松淵は通譯の男と一緒に清国の藝府司に入ったが、清国の側は留学生が女子だったとは知らなかったようで、藝府司では女の修業は例がなく、断られてしまう。これはもう、朝鮮側の外交的な大失態である。受け入れる清国の側も学生の名前と性別くらい確認すべきであった。
使節団に同行していた男(惠嬪の父らしき人物)はそれでも成松淵を朝鮮に連れて帰るわけにはいかないと言い、たとえ成松淵が学生として受け入れてもらえなくても成松淵を清国に置き去りにする腹らしい。外交問題にならなかったのか?
使節団に同行していた男(惠嬪の父らしき人物)はそれでも成松淵を朝鮮に連れて帰るわけにはいかないと言い、たとえ成松淵が学生として受け入れてもらえなくても成松淵を清国に置き去りにする腹らしい。外交問題にならなかったのか?
調べると『劉邦の大風歌―漢建国記―』の配信もある。