『水戸黄門』存続を求める署名運動には終了の原因分析と対策が欠けている

『水戸黄門』のテーマは「人と人の絆」らしいが、そのようなテーマは別のドラマでも描くことはできる。
TBSは『99年の愛』『JIN-仁-』『南極大陸』など、ドラマに力を入れており、これらは『水戸黄門』よりも高い視聴率を稼いでいる。
赤字が4200億圓に達すると言われるパナソニックにとっても『ハンチョウ』のほうがまだ宣傳効果が期待できるだろう。

しかも『水戸黄門』の場合、舞台が元禄時代なので、「家族の絆」以外に、今の世に残すべき「文化」を描くことはできない。その他は身分制度など日本人が歴史の中で捨ててきた要素だからだ。フィクションではあるが「印籠提示」という権威主義はその最たるものだ。だが40年前から『水戸黄門』ファンはそれを好んで観るようになってしまった。視聴率低下はその「印籠」シーンを好む層が相対的に少数になって、昔ながらの『水戸黄門』ファンが時代に取り残されていることを意味しているのだろう。
徳川光圀の没年は関ヶ原の合戦から100年後である。幕府が倒れたのは光圀が没してから168年後であった。
『水戸黄門』の物語世界ではまず倒幕派や反徳川派はほぼ間違いなく悪玉として設定され、鎖国の世に逆らって貿易を考える商人は「密貿易をたくらむ犯罪者」とされて第41部の最終回でも排除されている。

そうなると『水戸黄門』が訴えるメッセージなど限られている。
『水戸黄門』の光圀は世の中を支えているのが百姓や町人であると言いながら、その民百姓に政治を任せるよう幕藩体制を改めようとはしない。生類憐みの令の趣旨がどういうものか、第43部で光圀が言っていたわけだが、憐みの令を廃止することもできなかった光圀の限界がどうしても目立ってしまう。多くの視聴者はそういう劇中の光圀の考えより、江戸時代の身分差別の権化であるはずの「印籠シーン」を覚え、それを観たがっており、印籠のあとの光圀の説教も話題にならないようだ。

水戸市がやっている観光客誘致は歴史上の人物・徳川光圀の実像でなく、テレビの『水戸黄門』のキャラクターとしてアレンジされた姿を利用している。これでは『水戸黄門』が終わればその手法も終わるのは目に見えている。自治体も地元も『水戸黄門』の終了を想定していなかったのは甘すぎた。
川中島、関ヶ原、巌流島などは時代劇の本放送があろうがなかろうが歴史的な知名度で観光客を誘致しているし、NHK大河ドラマの誘致もある。大河ドラマなど、『江~姫たちの戦国~』で滋賀県がご当地として賑わっても、それは42年どころか1年で終わりである。
その代わり、土佐であれば『竜馬がゆく』『功名が辻』『龍馬伝』、越後と甲府であれば『天と地と』『武田信玄』『風林火山』『天地人』のように半世紀近い歴史の中で、順番が回ってくることが多い。水戸も『徳川慶喜』で「ご当地」になったことがある。

今後、茨城県と水戸市はテレビの『水戸黄門』の頼らずに観光客誘致をすべきであろう。特に水戸黄門漫遊一座は署名運動などするより、各地で芝居をしたほうがいい。『水戸黄門漫遊記』はもともと講談であるし、ドラマの劇中劇で光圀一行が『漫遊記』を演じたこともある。テレビの連続枠がなくなったときこそ、舞台の『水戸黄門』で客を集めるチャンスである。

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2011年12/10 12月